日本陸上競技連盟史
1991年度
1991年度
平成3年4月~平成4年3月
春から活況を呈した東京世界選手権イヤー
スーパー陸上で2つの世界新
東京に世界中のトップ選手が集結する──。年初からそんな高揚感に満ちた1991年は、日本の陸上競技史の中で特筆に値する年になった。夏に東京・国立競技場で開かれる第3回世界選手権を控え、春季サーキットの第6戦として行われたTOTO国際スーパー陸上競技大会(5月6日/静岡・草薙競技場)では、早くも世界新記録が2つ誕生。男子やり投でセッポ・ラテュ(フィンランド)が91m98を投げ、スティーブ・バックリー(英国)の持つ記録をちょうど1m更新。同棒高跳では、セルゲイ・ブブカ(ソ連)が、自己の記録を1cm上回る6m07に成功した。1964年の東京五輪以降、国内の大会で世界記録が樹立されたのは、これが4回目。
この大会では女子5000mで太田利香(ワコール)、真木和(同)、五十嵐美紀(リクルート)の3人が日本新記録をマークし、日本人最上位(4位)の太田は15分24秒35のアジア新記録だった。
春から盛り上がりを見せる陸上界は学生陣も奮起し、5月半ばに新装なった国立競技場で行われた関東学生対校選手権の3日目(5月17日)、男子100m予選で井上悟(日大)が10秒20(+0.5)の日本新。最終日(5月19日)に行われた男子400mハードル決勝では、齋藤嘉彦(法大)が49秒11の日本新記録で優勝した。齋藤は同年10月の石川国体(金沢・西部緑地公園陸上競技場)で、その記録を49秒10に縮めている。
東京世界選手権の代表選考会では日本新2、日本タイ2
東京世界選手権の代表選手選考会を兼ねた第75回日本陸上競技選手権大会は6月13~16日の4日間、本番の舞台となる東京・国立競技場で開催された。ここでも好記録が相次いで、日本新2、日本タイ2が誕生。最終日に行われた男子400m決勝では、髙野進(東海大AC)が前年の世界ランク9位相当の44秒78と、特大の日本新で快勝した。髙野は1988年のソウル五輪準決勝で、初めて45秒の壁を突破する44秒90をマークしていた。
男子110mハードルでは岩崎利彦(富士通)が、前年9月のスーパー陸上(静岡・草薙)で自身が出した13秒82の日本記録をさらに縮めて、13秒80。東京世界選手権の参加標準記録Aに到達した。
さらに、男子走幅跳では19歳の浪人生が躍動。臼井淳一(順大)が1979年7月のパリ国際で跳んだ8m10の日本記録に並ぶビッグジャンプを下仁(千葉陸協)が披露。同砲丸投では岡野雄司(千葉陸協)が、自身の持つ日本記録(1989年)と並ぶ17m63の日本タイを投げ、3位に入った(1、2位は外国人選手)。
この大会の結果を受けて6月23日に日本陸連理事会が開かれ、新たに24人(男子17、女子7)の代表が決まった。(男女マラソンの6人はすでに決定済み)
8月11日には第4回南部記念陸上が札幌・厚別競技場で行われ、女子100mと同100mハードルで日本新。100mハードルで13秒51を出した佐々木あゆみ(大京)が、参加標準記録B(13秒70)をクリアして代表入りを決めた。最終的に、東京世界選手権の日本代表はリレーメンバーや開催国枠などを含め、男子36、女子27の計63人になった。
大盛況の東京世界選手権、米国勢が4つの世界新 日本勢は4種目に6人が入賞
第3回世界陸上競技選手権大会が8月23日の開会式で華やかに開幕。8月24日から9月1日までの8日間(8月28日は中休み)、東京・国立競技場で男女43種目に熱戦を展開した。史上最高の168の国と地域から、1705選手が参加。男子100mでカール・ルイスが9秒86、同走幅跳ではマイク・パウエルが8m95など、米国勢の男子が3種目で4つの世界新記録を樹立し、大会は日を追うごとに盛り上がっていった。
日本勢は、大会2日目の女子マラソンで山下佐知子(京セラ)が銀メダル、有森裕子(リクルート)が4位と健闘したものの、金メダルを獲れないまま最終日の男子マラソンへ。ここで奮闘したのが谷口浩美(旭化成)。2時間14分57秒で酷暑のレースを制し、同日夜の閉会式直前に行われた表彰式で、国立競技場に初めて「君が代」が流れた。補欠から繰り上げ出場となった篠原太(神戸製鋼)も、5位入賞を果たした。
マラソン以外では、男子400mで髙野進(東海大AC)が快進撃を続け、1日1本ずつの予選、準々決勝、準決勝を勝ち上がって初の決勝進出。8月29日の決勝では、満員の観衆が見守る中、45秒39で7位に入る激走を見せた。髙野は5回目の世界大会挑戦(2度の五輪、3度の世界選手権)で、初めて〝ファイナリスト〟の称号を得た。
「7番でこんなことをするのは恥ずかしいんですが……」と言いながら、皆に促され、髙野は日の丸の旗を手にトラックを1周。「応援してくれた人たちに感謝の気持ちを込めて」と、その歩はゆっくりだった。
また、8月31日に行われた男子50km競歩で、24歳の今村文男(富士通)が4時間6分07秒で7位に入賞。男子400mの髙野と同様、五輪、世界選手権を合わせたこの種目での入賞は初の快挙だった。
この他、男子110mハードルでは岩崎利彦(富士通)が、予選落ちながら13秒58の日本新記録。男子4×400m、女子4×100m、同4×400mの3つのリレーでも、予選敗退とはいえ日本新記録が誕生した。

髙野進 ©フォート・キシモト
男女の砲丸投で日本新
1991年は秋になっても日本新ラッシュが続き、9月15日に行われた中部実業団・東海学生対抗(愛知県知多市・知多運動公園競技場)の女子砲丸投で、鈴木文(スポーツプラザ丸長)が日本の女子で2人目の16m台をプット。1977年に林香代子(熊本工高教)が投げた16m00を、14年ぶりに8cm更新する16m08の日本新記録を樹立した。
10月19~23日にマレーシアのクアラルンプールで開かれた第9回アジア選手権では、岡野雄司(成田高教)が自らの持つ記録を2cm更新する17m65の日本新で3位に入った。
初マラソンの小鴨が2時間26分26秒の日本最高
バルセロナ五輪の代表選手選考会となる1992大阪国際女子マラソンが1月26日に行われ、20歳の小鴨由水(ダイハツ)が2時間26分26秒で日本人初優勝。小鴨は初マラソン世界最高記録でフィニッシュテープを切り、一躍〝時の人〟になった。
記事提供:月刊陸上競技
平成3年4月~平成4年3月
春から活況を呈した東京世界選手権イヤー
スーパー陸上で2つの世界新
東京に世界中のトップ選手が集結する──。年初からそんな高揚感に満ちた1991年は、日本の陸上競技史の中で特筆に値する年になった。夏に東京・国立競技場で開かれる第3回世界選手権を控え、春季サーキットの第6戦として行われたTOTO国際スーパー陸上競技大会(5月6日/静岡・草薙競技場)では、早くも世界新記録が2つ誕生。男子やり投でセッポ・ラテュ(フィンランド)が91m98を投げ、スティーブ・バックリー(英国)の持つ記録をちょうど1m更新。同棒高跳では、セルゲイ・ブブカ(ソ連)が、自己の記録を1cm上回る6m07に成功した。1964年の東京五輪以降、国内の大会で世界記録が樹立されたのは、これが4回目。

セルゲイ・ブブカ ©フォート・キシモト
この大会では女子5000mで太田利香(ワコール)、真木和(同)、五十嵐美紀(リクルート)の3人が日本新記録をマークし、日本人最上位(4位)の太田は15分24秒35のアジア新記録だった。
春から盛り上がりを見せる陸上界は学生陣も奮起し、5月半ばに新装なった国立競技場で行われた関東学生対校選手権の3日目(5月17日)、男子100m予選で井上悟(日大)が10秒20(+0.5)の日本新。最終日(5月19日)に行われた男子400mハードル決勝では、齋藤嘉彦(法大)が49秒11の日本新記録で優勝した。齋藤は同年10月の石川国体(金沢・西部緑地公園陸上競技場)で、その記録を49秒10に縮めている。
東京世界選手権の代表選考会では日本新2、日本タイ2
東京世界選手権の代表選手選考会を兼ねた第75回日本陸上競技選手権大会は6月13~16日の4日間、本番の舞台となる東京・国立競技場で開催された。ここでも好記録が相次いで、日本新2、日本タイ2が誕生。最終日に行われた男子400m決勝では、髙野進(東海大AC)が前年の世界ランク9位相当の44秒78と、特大の日本新で快勝した。髙野は1988年のソウル五輪準決勝で、初めて45秒の壁を突破する44秒90をマークしていた。
男子110mハードルでは岩崎利彦(富士通)が、前年9月のスーパー陸上(静岡・草薙)で自身が出した13秒82の日本記録をさらに縮めて、13秒80。東京世界選手権の参加標準記録Aに到達した。
さらに、男子走幅跳では19歳の浪人生が躍動。臼井淳一(順大)が1979年7月のパリ国際で跳んだ8m10の日本記録に並ぶビッグジャンプを下仁(千葉陸協)が披露。同砲丸投では岡野雄司(千葉陸協)が、自身の持つ日本記録(1989年)と並ぶ17m63の日本タイを投げ、3位に入った(1、2位は外国人選手)。
この大会の結果を受けて6月23日に日本陸連理事会が開かれ、新たに24人(男子17、女子7)の代表が決まった。(男女マラソンの6人はすでに決定済み)
8月11日には第4回南部記念陸上が札幌・厚別競技場で行われ、女子100mと同100mハードルで日本新。100mハードルで13秒51を出した佐々木あゆみ(大京)が、参加標準記録B(13秒70)をクリアして代表入りを決めた。最終的に、東京世界選手権の日本代表はリレーメンバーや開催国枠などを含め、男子36、女子27の計63人になった。
大盛況の東京世界選手権、米国勢が4つの世界新 日本勢は4種目に6人が入賞
第3回世界陸上競技選手権大会が8月23日の開会式で華やかに開幕。8月24日から9月1日までの8日間(8月28日は中休み)、東京・国立競技場で男女43種目に熱戦を展開した。史上最高の168の国と地域から、1705選手が参加。男子100mでカール・ルイスが9秒86、同走幅跳ではマイク・パウエルが8m95など、米国勢の男子が3種目で4つの世界新記録を樹立し、大会は日を追うごとに盛り上がっていった。

カール・ルイス ©フォート・キシモト
日本勢は、大会2日目の女子マラソンで山下佐知子(京セラ)が銀メダル、有森裕子(リクルート)が4位と健闘したものの、金メダルを獲れないまま最終日の男子マラソンへ。ここで奮闘したのが谷口浩美(旭化成)。2時間14分57秒で酷暑のレースを制し、同日夜の閉会式直前に行われた表彰式で、国立競技場に初めて「君が代」が流れた。補欠から繰り上げ出場となった篠原太(神戸製鋼)も、5位入賞を果たした。

谷口浩美 ©フォート・キシモト
マラソン以外では、男子400mで髙野進(東海大AC)が快進撃を続け、1日1本ずつの予選、準々決勝、準決勝を勝ち上がって初の決勝進出。8月29日の決勝では、満員の観衆が見守る中、45秒39で7位に入る激走を見せた。髙野は5回目の世界大会挑戦(2度の五輪、3度の世界選手権)で、初めて〝ファイナリスト〟の称号を得た。
「7番でこんなことをするのは恥ずかしいんですが……」と言いながら、皆に促され、髙野は日の丸の旗を手にトラックを1周。「応援してくれた人たちに感謝の気持ちを込めて」と、その歩はゆっくりだった。
また、8月31日に行われた男子50km競歩で、24歳の今村文男(富士通)が4時間6分07秒で7位に入賞。男子400mの髙野と同様、五輪、世界選手権を合わせたこの種目での入賞は初の快挙だった。
この他、男子110mハードルでは岩崎利彦(富士通)が、予選落ちながら13秒58の日本新記録。男子4×400m、女子4×100m、同4×400mの3つのリレーでも、予選敗退とはいえ日本新記録が誕生した。

髙野進 ©フォート・キシモト
1991年は秋になっても日本新ラッシュが続き、9月15日に行われた中部実業団・東海学生対抗(愛知県知多市・知多運動公園競技場)の女子砲丸投で、鈴木文(スポーツプラザ丸長)が日本の女子で2人目の16m台をプット。1977年に林香代子(熊本工高教)が投げた16m00を、14年ぶりに8cm更新する16m08の日本新記録を樹立した。
10月19~23日にマレーシアのクアラルンプールで開かれた第9回アジア選手権では、岡野雄司(成田高教)が自らの持つ記録を2cm更新する17m65の日本新で3位に入った。
初マラソンの小鴨が2時間26分26秒の日本最高
バルセロナ五輪の代表選手選考会となる1992大阪国際女子マラソンが1月26日に行われ、20歳の小鴨由水(ダイハツ)が2時間26分26秒で日本人初優勝。小鴨は初マラソン世界最高記録でフィニッシュテープを切り、一躍〝時の人〟になった。
記事提供:月刊陸上競技


