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日本陸上競技連盟史

1993年度

1993年度
平成5年4月~平成6年3月


シュツットガルト世界選手権
女子マラソンで浅利が金、安部が銅


1991年の東京大会まで4年に1度の開催だった世界選手権が2年に1回となり、1993年は第4回大会が8月14日から22日まで、ドイツ・シュツットガルト市のゴットリープ・ダイムラー・スタジアムで行われた。男子110mハードルなど4種目で世界新、1種目で世界タイが出て、全体的には記録ラッシュになったものの、日本勢の自己新はゼロ。しかも、ラウンドのある種目で男女10000m以外は決勝に進めず、91年の東京世界選手権、92年のバルセロナ五輪と2年続いた陸上界の躍進に、やや陰りが見えた。

それを救ったのが、大会2日目に行われた女子マラソン。初日の男子マラソンでは打越忠夫(雪印)が5位(2時間17分54秒)入賞を果たし、勢いをつけて女子につないだ。

午後5時40分スタートで行われた男子マラソンは、昼間の蒸し暑さが残る消耗戦になったが、女子マラソンはそこまで悪条件ではなく、浅利純子(ダイハツ)は35kmを過ぎて先頭に立った。そのままトップでスタジアム内に入ると「あちこちに日の丸(の旗)が見えて『わぁ、すごい』と思って手を振った」と浅利。「でも、後ろとの差がどれぐらいあるのかわからず、第3コーナーを回る時に振り向いて、誰もいなかったから『あっ、大丈夫だ』って」。

ただ、フィニッシュ地点で迷った。「ゴールテープはないし、役員もいないし」で、一瞬「あと1周かな」と。浅利は「『あと1周』と言われたら恥ずかしいので、ちょっとしか手を挙げなかったんです」と、フィニッシュ後に明かした。日本の女子陸上競技史で世界大会の金メダルを初めて獲得した選手になったのだが、2時間30分03秒でフィニッシュした時は極めて控えめなポーズだった。

浅利純子 ©フォート・キシモト

マヌエラ・マシャド(ポルトガル)が2位に入って、3位には安部友恵(旭化成)。日本勢2人が表彰台に上がった。もう1人の代表、松野明美(ニコニコドー)は、中盤で脱水状態に陥り、後半は苦しい走りになったが、11位で完走した。

50km競歩で今村が園原の日本最高を破る

第77回日本選手権50km競歩・第32回全日本競歩が4月4日、石川県輪島市で行われ、男子50kmは今村文男(富士通)が3時間56分17秒で優勝し、園原健弘(アシックス)が昨年のこのレースで出した3時間56分56秒の日本最高記録を更新した。

女子10kmでも、2位に入った佐藤優子(資生堂)が、昨年の板倉美紀の記録を破る44分53秒の日本最高記録を出した。

活況の春季サーキット
男子800mで小野が29年ぶりの日本新

1993年は春季サーキットで、しばらく日本記録が破られていない種目での記録更新が話題となった。

まず、4月29日の第27回織田記念。広島アジア大会を翌年に控え、新設された広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)の、こけら落としの大会として行われた。その男子800mは、19歳の小野友誠(法大)が1分47秒28で優勝。1964年の東京五輪イヤーに森本葵(リッカー)が作った1分47秒4を、なんと29年ぶりに破る日本新記録で、若きランナーに大きな賞賛が集まった。

5月9日に行われた水戸国際(茨城・水戸)の男子走高跳では、吉田孝久(ミズノ)が2m31を跳び、阪本孝男(東海スポーツ)の持つ2m30の日本記録を9年ぶりに、1cm更新した。

4月29日の第8回和歌山カーニバル(和歌山・紀三井寺)では、女子砲丸投の鈴木文(スポーツプラザ丸長)が、自身の記録を8cm更新する16m22の日本新。5月5日の第9回静岡国際(静岡・草薙)女子三段跳でも、森岡洋子(大昭和)が自身の記録を20cm更新する13m06(+1.5)。上位2人の中国勢には及ばなかったが、日本女子で初めて13m台の記録をマークして3位だった。

また、春の大会としては、5月21~23日に東京・国立競技場で開かれた第72回関東インカレで快記録が誕生。男子200mで井上悟(日大)が20秒72(+0.4)の日本新記録を樹立し、2連覇を飾った。従来の日本記録(20秒74)は1986年に髙野進(東海大AC)、87年に山内健次(日建)が出していた。井上はこれで100mと合わせ、短距離2種目の日本記録保持者になった。

第1回東アジア競技大会を上海で開催

東アジアの競技力向上を目指して、この年、東アジア競技大会が新設された。第1回大会の陸上競技は5月13日から16日までの4日間、中国・上海の虹口体育場で行われ、日本からは男子33人、女子26人が出場。4つの日本新が誕生し、金メダルは6個獲得した。

初日の女子100mでは、伊藤佳奈恵(北海道・恵庭北高)が11秒62(+1.6)の日本新で4位。1991年8月の南部記念で野村綾子(光アクティス)が出した11秒71を、大きく破った。男子十種競技では金子宗弘(ミズノ)が、自らが持つ7916点を3年ぶりに79点上回る7995点の日本新で優勝した。

この他、男子20000m競歩で、多久島務(西濃運輸)が1時間22分40秒2の日本新。女子3000mでは片岡純子(富士銀行)が8分59秒10の日本新で、ともに3位に入った。

日本選手権男子400mHで齋藤、苅部が揃って48秒台に突入

シュツットガルト世界選手権の代表選手選考会を兼ねた第77回日本選手権は、6月11~13日、東京・国立競技場で開催された。ここでもビッグな記録が誕生。男子400mハードルで齋藤嘉彦(法大)が、先行した大学の先輩・苅部俊二(富士通)に9台目で追いつき、10台目で逆転。2連覇を果たした齋藤が48秒68、2位の苅部が48秒75。ともに齋藤が持つ49秒01の日本記録を大幅に破って、日本人初の48秒台へ突入した。

日本陸連は日本選手権の結果を受けて、6月14日にシュツットガルト世界選手権の代表41人を発表した。女子3000mの弘山晴美(資生堂/旧姓・鈴木)は、日本のミセスランナーとして初めて世界選手権の代表入りを果たした。

その女子3000mは記録の伸びが活発で、6月26日に行われた第33回実業団・学生対抗(神奈川・平塚)でも日本新が誕生した。昨年のこの大会で日本女子初の8分台(8分59秒52)を出していた原万里子(ダイイチ)が、8分57秒37の日本新。今年の東アジア大会で片岡純子(富士銀行)に破られていたが、1ヵ月で「日本記録保持者」に返り咲いた。

8月1日に北海道札幌市の厚別公園競技場で行われた第6回南部記念では、女子100mハードルと走幅跳が専門の橋岡直美(あさひ銀行)が、この年から挑戦している三段跳で日本新。森岡洋子(大昭和)が5月の静岡国際で出した13m06を大きく超える13m23(+1.8)を5回目に跳んだ。橋岡は日本選手権を13m02で制していた。

男子走高跳で20歳の君野が2m32の日本新

TOTO国際スーパー陸上が9月18日、福岡市・博多の森競技場に世界チャンピオン12人を集めて華やかに行われた。

春の水戸国際陸で吉田孝久(ミズノ)が2m31の日本新を作ったばかりの男子走高跳で、今度は20歳の大学生・君野貴弘(順大)が2m32をクリア。吉田の記録を1cm更新した。また、女子走高跳では、18歳の太田陽子(日体大)が日本歴代2位、ジュニア日本新の1m93に成功した。

その翌日、9月19日に兵庫・尼崎で行われた日本記録挑戦選抜中・長距離大会女子20000mでは、10000m日本記録保持者の真木和(ワコール)が1時間6分48秒8の世界新記録を樹立。ロサ・モタ(ポルトガル)が1983年に出した1時間6分55秒5を破った。五輪種目ではないが、日本の女子が世界新記録を出すのは、人見絹枝(大毎)が1928年に走幅跳で5m98を跳んで以来、史上2人目。

東四国国体で朝原が日本人初の10秒1台

第48回国民体育大会(東四国国体)の陸上競技は10月25日から5日間、徳島県鳴門市の鳴門総合運動公園で行われた。大学3年の朝原宣治(同志社大)が成年男子A100mに出場。井上悟(日大)の持つ10秒20を2年ぶりに破る10秒19(+2.0)の日本新で優勝し、日本人初の10秒1台に突入した。朝原は9月25日の第18回関関同立4大学対校戦で10秒1を出し、昨年までなら日本タイ記録だったが、日本陸連が1993年から手動記録を公認としなくなったため、「日本タイ」にならなかった経緯がある。

この勢いで朝原は、フィリピン・マニラで開かれた第10回アジア選手権(11月30日~12月4日)の男子走幅跳で、自身初の8m台となる8m13を跳んで金メダル。走・跳の〝二刀流〟で日本のエースに成長した。

日本グランプリ・ファイナルは10月16~17日に東京・国立競技場で行われ、女子100mハードルで佐々木あゆみ(ミキハウス)が、自己の持つ日本記録を100分の1秒縮める13秒38(+0.4)の日本新。佐々木は女子の総合優勝を飾り、男子は走高跳の吉田孝久(ミズノ)がグランプリ・チャンピオンになった。

女子マラソンで安部、藤村、浅利の3人が日本最高記録

大阪国際女子マラソンで、3年連続の日本最高記録が誕生──。第78回日本選手権と広島アジア大会代表選手選考会を兼ねて、1994年1月30日に行われた大阪国際女子マラソンは、大阪市の長居第二競技場が発着点。上位3人がきびすを接して競技場に戻ってくる熾烈な展開となる中、安部友恵(旭化成)が2時間26分09秒で優勝した。安部と同タイムで藤村信子(ダイハツ)が2位、浅利純子(同)が1秒遅れの2時間26分10秒で3位となり、3人とも小鴨由水(ダイハツ)、山本佳子(ダイエー)、浅利が保持していた2時間26分26秒の日本最高記録を破った。4位の吉田光代(ダイハツ)が日本最高タイ。これで、大阪国際では3年連続の日本最高記録が生まれ、前年にコースを間違えて浅利に1秒差で敗れた安部が雪辱を果たすレースになった。

また、3月21日には第22回全日本実業団ハーフマラソンが山口市の維新百年記念公園競技場を発着点とするコースで行われ、早田俊幸(鐘紡)が1時間1分34秒の日本最高記録で初優勝。大家正喜(佐川急便)が1993年1月に出した1時間1分40秒を更新した。

この日、広島アジア大会のマラソン代表が日本陸連から発表され、2月の東京国際マラソンで日本人トップ(3位)だった早田が鈴木賢一(富士通)とともに代表入りし、二重の喜びとなった。女子の代表には安部と藤村が決まった。

安部友恵 ©フォート・キシモト


記事提供:月刊陸上競技