日本陸上競技連盟史
1992年度
1992年度
平成4年4月~平成5年3月
バルセロナ五輪の男女マラソンで銀メダル
女子が有森、男子は森下
1992年はオリンピック・イヤー。スペイン第2の都市・バルセロナで、第25回夏季大会が開かれた。7月25日にモンジュイック・スタジアムで開会式が行われ、陸上競技は7月31日に始まり、中休みを挟んで8月9日まで9日間の日程。ソビエト連邦の崩壊で東西冷戦に終止符が打たれ、7万人収容のスタジアムに世界中のアスリートが集結する祭典となった。
米国勢の男子が400mハードルと4×100m、4×400mの両リレーで世界新記録を樹立し、圧倒的な存在感を発揮する中で、日本勢も銀メダル2つを含む8つの入賞で盛り上がった。そのうち5つが男女のマラソンで得たものである。
まず、8月1日の女子マラソンでは、有森裕子(リクルート)が2位、山下佐知子(京セラ)が4位と、前年の東京世界選手権と同様にダブル入賞。日本の女子がオリンピックの陸上競技でメダルを取ったのは、1928年アムステルダム大会800m2位の人見絹枝(大毎)以来2人目で、有森は64年ぶりに、人見と同じ岡山県出身の銀メダリストになった。
男子マラソンは大会最終日の8月9日に行われ、女子と同様午後6時30分にマタロ市をスタート。スタジアムに続く終盤のモンジュイックの丘では、森下広一(旭化成)が黄永祚(韓国)と息詰まる優勝争いを展開した。絶対に前に出ない黄永祚の作戦に、森下が「このまま行ってトラック勝負」と思った一瞬の隙。40km過ぎの下り坂で黄永祚にスパートを許して、金メダルを逃した。森下は22秒遅れの2時間13分45秒で2位だったが、メキシコ大会(1968年)の君原健二(八幡製鉄)以来、24年ぶりの銀メダル獲得となった。
中山竹通(ダイエー)が、1988年ソウル大会に続いての4位。東京世界選手権金メダルの谷口浩美(旭化成)は、故障明けに加えて22.5km付近の給水所で右足かかとを踏まれて転倒するアクシデントがありながら、8位を確保。男子はトリプル入賞を果たした。転倒後、シューズを履き直して前を追った谷口は、フィニッシュ後のインタビューで「こけちゃいましたよ」と笑顔で話し、日本のお茶の間で話題となった。
男子400mの髙野は五輪でも〝ファイナリスト〟に
東京世界選手権の男子400mで悲願の決勝進出を果たした髙野進(東海大教)は、バルセロナ五輪でも一次予選、二次予選と勝ち抜き、ソウル五輪(1988年)では5着でふるい落とされた準決勝も4着(45秒09)で通過。決勝では8位(45秒18)にとどまったが、1932年ロサンゼルス大会男子100m6位の吉岡隆徳(東京高師)以来、60年ぶりに短距離個人種目での入賞を果たした。
また、女子走高跳では、佐藤恵(ミズノ)が1m91を1回目に成功させて、7位入賞の快挙。佐藤は高校生で出場した前々回のロサンゼルス大会が予選落ち、大学生だった前回のソウル大会は決勝に進んだものの11位に終わり、3度目のオリンピックで入賞にたどり着いた。
日本チームのもう一つの入賞が男子4×100mリレーで、38秒77の日本新記録をマークして6位。青戸慎司(中京大職員)、鈴木久嗣(中京大)、井上悟(日大)、杉本龍勇(法大)のオーダーは大学生が3人と若く、息もピッタリだった。優勝はカール・ルイスをアンカーに据えた米国で、37秒40の世界新記録を樹立している。
男子走幅跳で森長が8m25、13年ぶりの日本新
1992年は、バルセロナ五輪の代表選手選考会として行われた春季サーキットでも、日本新記録が誕生している。
5月5日に行われた第8回静岡国際陸上(静岡・草薙)の男子走幅跳では、森長正樹(日大)が3回目に8m10(+2.0)の日本タイ記録を出すと、5回目に記録を伸ばして8m25(+1.6)。1979年に臼井淳一(順大)、91年に下仁(千葉陸協)が跳んだ8m10を破り、13年ぶりに日本記録を書き替えた。森長は米国・ヒューストン大で春季合宿をして帰国後、8m台を連発し、日本新に王手をかけていた。
この大会で5m50をクリアし、バルセロナ五輪の参加標準記録に到達した男子棒高跳の佐野浩之(ファースト)は、5月16日に同じ会場で行われたバルセロナ五輪標準記録挑戦棒高跳競技会で5m56をクリア。橋岡利行(青桐クラブ)が1986年の山梨国体で作った日本記録を、6年ぶりに1cm更新した。
5月3日に行われた第40回兵庫リレーカーニバル(神戸・ユニバー記念)の女子10000mでは、真木和(ワコール)が31分40秒38の日本新。松野明美(ニコニコドー)が1989年に作った31分54秒0の日本記録を、一気に14秒近く更新した。
日本選手権では髙野が学生の渡辺に辛勝
バルセロナ五輪の最終選考会を兼ねた第76回日本選手権大会は、6月12~14日の3日間、東京・国立競技場で行われた。注目の男子400mでは、髙野進(東海大AC)が、関東インカレで日本人2人目の45秒台(45秒71)をマークし、今季進境著しい渡辺高博(早大)の猛追を受けてスタンドがどよめく場面も。45秒81の同タイムながら、髙野が辛勝した。
21人が五輪参加標準記録を突破した女子10000mは、真木和(ワコール)が32分03秒95で圧勝。この大会では、女子の1500mと400mハードルで、計4つの日本新記録が生まれた。
日本選手権の翌日、日本陸連からバルセロナ五輪の代表が発表され、すでに決まっていた8人に25人が新たに加わり、計33人の精鋭が出そろった。
大学4年の高岡が男子5000mで日本新
海外から驚くニュースが飛び込んできたのが、バルセロナ五輪まで残り1ヵ月を切ってからの7月2日だった。国際グランプリ第7戦のDNガランがスウェーデンの首都・ストックホルムで行われ、男子5000mに出場した大学4年の高岡寿成(龍谷大)が、13分20秒43の日本新で5位。従来の日本記録は米重修一(旭化成)が1988年7月に英国・ロンドンで出した13分22秒97で、高岡は4年ぶりに2秒以上更新した。185cmの長身ランナーが、初の海外遠征で、自他共に「まさか!」と目を丸くするような快挙だった。
50km競歩で園原が日本最高
女子マラソンの山本は日本タイ
トラックシーズン開幕前の4月には、ロードレースで2つ、日本最高と日本タイ記録が誕生している。4月19日に石川県輪島市(1周2.5kmの周回コース)で第76回日本選手権50km競歩が行われ、園原健弘(アシックス)が3時間56分56秒で5年ぶり2度目の優勝。小坂忠広(デサント)が持っていた3時間58分39秒の日本最高記録を大幅に更新した。また、併催された第31回全日本競歩の女子10kmでは、地元の高校生・板倉美紀(石川・寺井高)が45分16秒の日本最高で優勝し、注目を集めた。
4月20日には第96回ボストン・マラソンが米国の当地で行われ、女子の部で山本佳子(ダイエー)が2時間26分26秒の日本タイ記録で2位。1月の大阪国際女子マラソンで小鴨由水(ダイハツ)が出した記録と並んだ。
女子400mで高校生の柿沼が53秒45の日本新
第4回世界ジュニア選手権が9月15~20日、韓国・ソウルのオリンピックスタジアムで行われた。女子400mでは、柿沼和恵(埼玉栄高)が53秒45の日本新で6位に入賞。磯崎公美(神奈川・山北高)が1982年に作った53秒73の日本記録を、10年ぶりに書き替えた。女子4×400mリレーでも日本は3分34秒83の日本新をマークし、5位入賞を果たした。
9月11日に東京・国立競技場で開催されたTOTO国際スーパー陸上競技大会には、バルセロナ五輪出場者が多数出場。「記録なし」に終わったオリンピック直後、8月30日に6m12の世界新を出したばかりの男子棒高跳世界記録保持者、セルゲイ・ブブカ(ウクライナ)が、東京でさらに1cm更新する6m13をクリアした。
日本陸連が主催する今季のトラック&フィールド最終戦、全日本選抜が10月25~26日、東京・国立競技場で行われた。今季から設けられた日本グランプリシリーズの最終戦を兼ねており、シリーズの総合順位も決定した。女子グランプリでは2つの日本新記録が誕生。砲丸投の鈴木文(スポーツプラザ丸長)は、昨年自らが作った日本記録を6cm更新する16m14。三段跳の森岡洋子(大昭和)は、12m86(+1.0)の日本新記録を1回目に跳んだ。この2人がグランプリ総合得点75点で並び、初代チャンピオンを分け合った。男子の初代王者は、走幅跳の森長正樹(日大)。
浅利も2時間26分26秒の日本最高タイ
第4回世界選手権(ドイツ・シュツットガルト)の代表選考レースとなった大阪国際女子マラソンが、1993年1月31日に行われた。23歳の浅利純子(ダイハツ)と、21歳で初マラソンの安部友恵(旭化成)という若い選手が、終盤で激しい優勝争いを展開。フィニッシュの長居競技場へ入る手前で、安部がテレビ中継車を追って、右折すべきところを直進するコース間違いをして、その間に浅利が先行。浅利は残り200mでいったん安部に追いつかれたものの、ラスト30mで突き放して優勝を飾った。浅利の優勝タイムは、前年に小鴨由水(ダイハツ)と山本佳子(ダイエー)が出した日本最高に並ぶ2時間26分26秒。1秒差で安部が続いたが、小鴨の記録に及ばず、初マラソン日本最高にはならなかった。
世界室内で男子マイルリレーが銅メダル
第4回世界室内選手権大会が1993年3月12~14日、カナダのトロントで開かれ、日本は男子8人が出場。簡優好(順大)、稲垣誠司、齋藤嘉彦、林弘幸(以上、法大)とつないだ4×400mリレーで、3分07秒30の室内日本新をマークし、銅メダルを獲得した。シニアの世界大会短距離種目で、初めてのメダル獲得だった。
記事提供:月刊陸上競技
平成4年4月~平成5年3月
バルセロナ五輪の男女マラソンで銀メダル
女子が有森、男子は森下
1992年はオリンピック・イヤー。スペイン第2の都市・バルセロナで、第25回夏季大会が開かれた。7月25日にモンジュイック・スタジアムで開会式が行われ、陸上競技は7月31日に始まり、中休みを挟んで8月9日まで9日間の日程。ソビエト連邦の崩壊で東西冷戦に終止符が打たれ、7万人収容のスタジアムに世界中のアスリートが集結する祭典となった。
米国勢の男子が400mハードルと4×100m、4×400mの両リレーで世界新記録を樹立し、圧倒的な存在感を発揮する中で、日本勢も銀メダル2つを含む8つの入賞で盛り上がった。そのうち5つが男女のマラソンで得たものである。
まず、8月1日の女子マラソンでは、有森裕子(リクルート)が2位、山下佐知子(京セラ)が4位と、前年の東京世界選手権と同様にダブル入賞。日本の女子がオリンピックの陸上競技でメダルを取ったのは、1928年アムステルダム大会800m2位の人見絹枝(大毎)以来2人目で、有森は64年ぶりに、人見と同じ岡山県出身の銀メダリストになった。

有森裕子 ©フォート・キシモト
男子マラソンは大会最終日の8月9日に行われ、女子と同様午後6時30分にマタロ市をスタート。スタジアムに続く終盤のモンジュイックの丘では、森下広一(旭化成)が黄永祚(韓国)と息詰まる優勝争いを展開した。絶対に前に出ない黄永祚の作戦に、森下が「このまま行ってトラック勝負」と思った一瞬の隙。40km過ぎの下り坂で黄永祚にスパートを許して、金メダルを逃した。森下は22秒遅れの2時間13分45秒で2位だったが、メキシコ大会(1968年)の君原健二(八幡製鉄)以来、24年ぶりの銀メダル獲得となった。
中山竹通(ダイエー)が、1988年ソウル大会に続いての4位。東京世界選手権金メダルの谷口浩美(旭化成)は、故障明けに加えて22.5km付近の給水所で右足かかとを踏まれて転倒するアクシデントがありながら、8位を確保。男子はトリプル入賞を果たした。転倒後、シューズを履き直して前を追った谷口は、フィニッシュ後のインタビューで「こけちゃいましたよ」と笑顔で話し、日本のお茶の間で話題となった。
男子400mの髙野は五輪でも〝ファイナリスト〟に
東京世界選手権の男子400mで悲願の決勝進出を果たした髙野進(東海大教)は、バルセロナ五輪でも一次予選、二次予選と勝ち抜き、ソウル五輪(1988年)では5着でふるい落とされた準決勝も4着(45秒09)で通過。決勝では8位(45秒18)にとどまったが、1932年ロサンゼルス大会男子100m6位の吉岡隆徳(東京高師)以来、60年ぶりに短距離個人種目での入賞を果たした。
また、女子走高跳では、佐藤恵(ミズノ)が1m91を1回目に成功させて、7位入賞の快挙。佐藤は高校生で出場した前々回のロサンゼルス大会が予選落ち、大学生だった前回のソウル大会は決勝に進んだものの11位に終わり、3度目のオリンピックで入賞にたどり着いた。
日本チームのもう一つの入賞が男子4×100mリレーで、38秒77の日本新記録をマークして6位。青戸慎司(中京大職員)、鈴木久嗣(中京大)、井上悟(日大)、杉本龍勇(法大)のオーダーは大学生が3人と若く、息もピッタリだった。優勝はカール・ルイスをアンカーに据えた米国で、37秒40の世界新記録を樹立している。

男子4×100mリレー ©フォート・キシモト
男子走幅跳で森長が8m25、13年ぶりの日本新
1992年は、バルセロナ五輪の代表選手選考会として行われた春季サーキットでも、日本新記録が誕生している。
5月5日に行われた第8回静岡国際陸上(静岡・草薙)の男子走幅跳では、森長正樹(日大)が3回目に8m10(+2.0)の日本タイ記録を出すと、5回目に記録を伸ばして8m25(+1.6)。1979年に臼井淳一(順大)、91年に下仁(千葉陸協)が跳んだ8m10を破り、13年ぶりに日本記録を書き替えた。森長は米国・ヒューストン大で春季合宿をして帰国後、8m台を連発し、日本新に王手をかけていた。
この大会で5m50をクリアし、バルセロナ五輪の参加標準記録に到達した男子棒高跳の佐野浩之(ファースト)は、5月16日に同じ会場で行われたバルセロナ五輪標準記録挑戦棒高跳競技会で5m56をクリア。橋岡利行(青桐クラブ)が1986年の山梨国体で作った日本記録を、6年ぶりに1cm更新した。
5月3日に行われた第40回兵庫リレーカーニバル(神戸・ユニバー記念)の女子10000mでは、真木和(ワコール)が31分40秒38の日本新。松野明美(ニコニコドー)が1989年に作った31分54秒0の日本記録を、一気に14秒近く更新した。
日本選手権では髙野が学生の渡辺に辛勝
バルセロナ五輪の最終選考会を兼ねた第76回日本選手権大会は、6月12~14日の3日間、東京・国立競技場で行われた。注目の男子400mでは、髙野進(東海大AC)が、関東インカレで日本人2人目の45秒台(45秒71)をマークし、今季進境著しい渡辺高博(早大)の猛追を受けてスタンドがどよめく場面も。45秒81の同タイムながら、髙野が辛勝した。
21人が五輪参加標準記録を突破した女子10000mは、真木和(ワコール)が32分03秒95で圧勝。この大会では、女子の1500mと400mハードルで、計4つの日本新記録が生まれた。
日本選手権の翌日、日本陸連からバルセロナ五輪の代表が発表され、すでに決まっていた8人に25人が新たに加わり、計33人の精鋭が出そろった。
大学4年の高岡が男子5000mで日本新
海外から驚くニュースが飛び込んできたのが、バルセロナ五輪まで残り1ヵ月を切ってからの7月2日だった。国際グランプリ第7戦のDNガランがスウェーデンの首都・ストックホルムで行われ、男子5000mに出場した大学4年の高岡寿成(龍谷大)が、13分20秒43の日本新で5位。従来の日本記録は米重修一(旭化成)が1988年7月に英国・ロンドンで出した13分22秒97で、高岡は4年ぶりに2秒以上更新した。185cmの長身ランナーが、初の海外遠征で、自他共に「まさか!」と目を丸くするような快挙だった。
50km競歩で園原が日本最高
女子マラソンの山本は日本タイ
トラックシーズン開幕前の4月には、ロードレースで2つ、日本最高と日本タイ記録が誕生している。4月19日に石川県輪島市(1周2.5kmの周回コース)で第76回日本選手権50km競歩が行われ、園原健弘(アシックス)が3時間56分56秒で5年ぶり2度目の優勝。小坂忠広(デサント)が持っていた3時間58分39秒の日本最高記録を大幅に更新した。また、併催された第31回全日本競歩の女子10kmでは、地元の高校生・板倉美紀(石川・寺井高)が45分16秒の日本最高で優勝し、注目を集めた。
4月20日には第96回ボストン・マラソンが米国の当地で行われ、女子の部で山本佳子(ダイエー)が2時間26分26秒の日本タイ記録で2位。1月の大阪国際女子マラソンで小鴨由水(ダイハツ)が出した記録と並んだ。
女子400mで高校生の柿沼が53秒45の日本新
第4回世界ジュニア選手権が9月15~20日、韓国・ソウルのオリンピックスタジアムで行われた。女子400mでは、柿沼和恵(埼玉栄高)が53秒45の日本新で6位に入賞。磯崎公美(神奈川・山北高)が1982年に作った53秒73の日本記録を、10年ぶりに書き替えた。女子4×400mリレーでも日本は3分34秒83の日本新をマークし、5位入賞を果たした。
9月11日に東京・国立競技場で開催されたTOTO国際スーパー陸上競技大会には、バルセロナ五輪出場者が多数出場。「記録なし」に終わったオリンピック直後、8月30日に6m12の世界新を出したばかりの男子棒高跳世界記録保持者、セルゲイ・ブブカ(ウクライナ)が、東京でさらに1cm更新する6m13をクリアした。
日本陸連が主催する今季のトラック&フィールド最終戦、全日本選抜が10月25~26日、東京・国立競技場で行われた。今季から設けられた日本グランプリシリーズの最終戦を兼ねており、シリーズの総合順位も決定した。女子グランプリでは2つの日本新記録が誕生。砲丸投の鈴木文(スポーツプラザ丸長)は、昨年自らが作った日本記録を6cm更新する16m14。三段跳の森岡洋子(大昭和)は、12m86(+1.0)の日本新記録を1回目に跳んだ。この2人がグランプリ総合得点75点で並び、初代チャンピオンを分け合った。男子の初代王者は、走幅跳の森長正樹(日大)。
浅利も2時間26分26秒の日本最高タイ
第4回世界選手権(ドイツ・シュツットガルト)の代表選考レースとなった大阪国際女子マラソンが、1993年1月31日に行われた。23歳の浅利純子(ダイハツ)と、21歳で初マラソンの安部友恵(旭化成)という若い選手が、終盤で激しい優勝争いを展開。フィニッシュの長居競技場へ入る手前で、安部がテレビ中継車を追って、右折すべきところを直進するコース間違いをして、その間に浅利が先行。浅利は残り200mでいったん安部に追いつかれたものの、ラスト30mで突き放して優勝を飾った。浅利の優勝タイムは、前年に小鴨由水(ダイハツ)と山本佳子(ダイエー)が出した日本最高に並ぶ2時間26分26秒。1秒差で安部が続いたが、小鴨の記録に及ばず、初マラソン日本最高にはならなかった。
世界室内で男子マイルリレーが銅メダル
第4回世界室内選手権大会が1993年3月12~14日、カナダのトロントで開かれ、日本は男子8人が出場。簡優好(順大)、稲垣誠司、齋藤嘉彦、林弘幸(以上、法大)とつないだ4×400mリレーで、3分07秒30の室内日本新をマークし、銅メダルを獲得した。シニアの世界大会短距離種目で、初めてのメダル獲得だった。
記事提供:月刊陸上競技


