日本陸上競技連盟史
2008年度
2008年度
平成20年4月~平成21年3月
北京五輪男子4×100mRで3位
日本男子トラックで初のメダル獲得
史上最多204の国と地域が参加した第29回夏季オリンピック北京大会は、2008年8月8日に開幕。陸上競技は大会後半の8月15日から24日までの10日間、中国の首都・北京の国家体育場(通称・鳥の巣)で熱戦を繰り広げた。ジャマイカのウサイン・ボルトが男子100m、200m、4×100mリレーの短距離3種目をすべて世界新記録で制して、連日満員のスタンドを盛り上げた大会。
日本勢は自己新ゼロに終わったものの、8日目の男子4×100mリレー決勝で快挙を達成した。昨年の大阪世界選手権で5位入賞を果たした時と同じメンバー、同じオーダー。塚原直貴(富士通)、末續慎吾(ミズノ)、髙平慎士(富士通)、朝原宣治(大阪ガス)で臨んだ日本は38秒15で3位に食い込み、日本の男子トラック種目で初、女子を含めると1928年アムステルダム大会800m銀の人見絹枝以来、実に80年ぶりのメダル獲得となる銅メダルに沸いた。
予選1組で米国をはじめ4チームがバトンミスで途中棄権し、日本はトリニダードトバゴに次いで2着通過。決勝は7レーンに入り、3走まで2番手をキープした。
アンカーは36歳の朝原。大阪世界選手権の後、「朝原さんにもう1年やってもらってメダルをプレゼントしよう」と後輩たちが誓い合い、引退を1年延ばした経緯がある。朝原は五輪で3回、世界選手権で4回、決勝のアンカーを務め、個人種目も含めてメダル獲得は今回が初。最後はブラジルの追い上げをかわして、フィニッシュラインを駆け抜けた。
初めてメダルに手が届いた要因は「経験と練習」に尽きる。補欠を含めてリレーメンバーは「バトンパスでミスはしない」と、お互いに100%信頼し切っていた。日本チームの髙野進監督は「いつか、こういう日が来ると信じていた」と感無量の表情。2走の末續は「いろんな人たちがあきらめないで歴史を築いてきてくれたお陰」と、先人たちに感謝した。
この他、五輪連覇を狙った男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)は、80m71で5位。男子50km競歩の山崎勇喜(長谷川体育施設)は、3時間45分47秒で7位と、オリンピックの競歩種目で日本勢初の入賞を果たした。
日本選手権50km競歩で山崎が日本新
北京五輪イヤーを迎えた男子50km競歩の山崎勇喜(長谷川体育施設)は、4月13日に石川県輪島市で行われた第92回日本選手権50km競歩で5連覇。自己の持つ日本記録を1分43秒更新する3時間41分55秒の日本新をマークして、1月末の20kmと合わせて日本選手権競歩2冠。2大会連続で、両種目での五輪代表の座をほぼ確実にしていた。なお、この大会は前回、能登半島地震の影響で兵庫県神戸市での代替開催となったため、輪島では2年ぶりに開かれている。
山崎はこの記録を、10月26日に行われた第47回全日本50km競歩高畠大会(山形・高畠町)でさらに26秒更新。3時間41分29秒で、2年ぶり2度目の優勝を飾った。
女子短距離に19歳の新星登場
福島千里、100mで11秒36の日本タイ
日本グランプリ・シリーズの春季サーキットは、北京五輪の代表選手選考会を兼ねて全国各地で行われた。
第3戦の第42回織田記念は4月29日、広島市の広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で行われ、女子100mで19歳の福島千里(北海道ハイテクAC)が11秒36(+1.7)の日本タイで優勝。2001年7月に二瓶秀子(福島大院)が作った日本記録と並んだ。2位の北風沙織(北海道ハイテクAC)も、日本歴代5位に当たる11秒42の自己ベスト。そろって北京五輪の参加B標準記録(11秒42)をクリアした。
福島は、5月3日の第24回静岡国際(袋井市・小笠山総合運動公園エコパスタジアム)で行われた女子200mでは、追い風参考記録ながら日本記録(23秒33)を上回る23秒13(+2.7)で走り、再び観衆を驚かせた。
その静岡国際では、もう一つ女子短距離で素晴らしい記録が誕生した。400mの丹野麻美(ナチュリル)が、外国選手に僅差で敗れたが、51秒75の日本新。自身の持つ日本記録(51秒80)を3年ぶりに更新した。丹野だけでなく、3位の木田真有(ナチュリル)が日本歴代3位の53秒05、4位の堀江真由(ニッポンランナーズ)が日本歴代5位の53秒10という、ハイレベルなレースとなった。
女子4×100mR日本新も五輪代表逃す
北京五輪のプレ大会を兼ねた中国オープン陸上「Good Luck Beijing」が5月22~25日、五輪本番の舞台となる北京の国家体育場で開かれ、日本は男女短距離陣を中心に27人を派遣した。
石田智子(長谷川体育施設)、信岡沙希重(ミズノ)、福島千里(北海道ハイテクAC)、髙橋萌木子(平成国際大)とつないだ女子4×100mリレーは、予選で43秒67の日本新をマーク。しかし、五輪出場条件となるベスト2の記録で世界ランク16位以内に入れず、44年ぶりの五輪出場はならなかった。
日本選手権は昨年に続いて日本新ゼロ
北京五輪の代表選手選考会を兼ねた第92回日本選手権は6月26~29日の4日間、神奈川県川崎市の等々力競技場で開かれた。気象条件に恵まれず、昨年に続いて日本新はゼロ。大会新も女子10000mのみだったが、五輪代表の座を懸けて各種目で熱戦が繰り広げられた。
今季初戦となった男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)が、80m98で14連覇を達成。松宮隆行(コニカミノルタ)は、男子5000m、10000mで戦後初の3年連続2冠を達成し、女子10000mで初優勝した渋井陽子(三井住友海上)とともに、今大会の最優秀選手に選ばれた。
最終的に、女子100mの福島千里(北海道ハイテクAC)が、1964年東京大会の依田郁子以来、この種目で44年ぶりの五輪代表に選ばれた。
また、女子3000m障害で初めて五輪代表入りした早狩実紀(京都光華AC)は、7月20日にベルギーで開かれたナイト・オブ・アスレティックで、自己の持つ記録を4秒75短縮する9分33秒93の日本新をマークした。
大分国体女子種目で2つの日本新記録
第63回国民体育大会「チャレンジ! おおいた国体」の陸上競技は10月3~7日の5日間、大分市の大分スポーツ公園九州石油ドームで行われた。
2日目の成年女子400mハードルで、北京五輪代表の久保倉里美(新潟・新潟アルビレックスRC)が、自身の持つ日本記録を0秒25更新。来年開かれるベルリン世界選手権の参加A標準記録(55秒50)を突破する55秒46の2年ぶり日本新で優勝した。同10000m競歩の川﨑真裕美(茨城・海老澤製作所)も、自己の持つ記録を10秒以上塗り替える43分53秒51の日本新をマークした。
日本陸連は国体期間中の10月5日、大分市内で臨時理事会を開き、原則として認めていない外国人選手の日本選手権出場を見直す方針を固めた。北京五輪の結果を受けて、河野洋平会長が提案した。過去に日本選手権の外国人選手出場は認められていたが、長距離種目を中心に外国籍の選手の出場が増加していったため、国内選手権という観点から2005年に参加資格が変更。翌年からは日本人選手だけで大会が行われていた。また、この日の理事会では、五輪マラソン選考レースの一本化なども協議された。
東京国際女子マラソンが第30回大会で閉幕
2008東京国際女子マラソンが11月16日、国立競技場を発着点とするコースで行われた。第30回の記念大会を機に、その歴史に幕を閉じる最後のレースを制したのは、2度目のマラソンで初優勝した尾崎好美(第一生命)。2時間23分30秒は日本歴代10位タイの記録だった。
日本人トップの選手は2009年夏にドイツのベルリンで開かれる世界選手権の代表に内定。尾崎は男女マラソンの代表第1号になった。
「長距離・ロード特別委員会」を新設
日本陸連は11月18日、北京五輪でマラソンが惨敗したことを踏まえ、選手強化を担当する強化委員会から長距離・マラソンと競歩部門を独立させた「長距離・ロード特別委員会」の新設を発表した。12月1日からスタートする。
委員長は澤木啓祐専務理事が兼務し、強化委員会のロード・長距離対策委員長だった木内敏夫氏が委員長代理に就任。河野洋平会長は「マラソンは新しい時代に入り、日本の状況はかなり深刻で、危機感を持っている。我々ができる最善の策と思って採用した」と説明した。
北京五輪・室伏の順位が二転三転
12月11日、国際オリンピック委員会(IOC)がスイス・ローザンヌで開いた理事会で、北京五輪男子ハンマー投で2位になったワディム・デヴャトフスキー、3位のイワン・ティホン(ともにベラルーシ)をドーピング違反で失格とし、メダルを剥奪することを決めた。当初5位の室伏広治(ミズノ)は2つ順位が繰り上がり、銅メダルが確定した。
だが、2010年にその裁定が覆り、デヴャトフスキー、ティホンのメダルが復活。室伏の順位は5位のままとなった。
日本陸連アスレティック・アワード2008
「日本陸連アスレティック・アワード2008」が12月15日、都内のホテルで開催された。今年の最優秀選手に贈られる「アスリート・オブ・ザ・イヤー」は、北京五輪で銅メダルを獲得した男子4×100mリレーのメンバーが受賞した。
女子20km競歩で渕瀬と川﨑が日本新
第92回日本選手権20km競歩は2009年1月25日、兵庫県神戸市の六甲アイランド甲南大学周辺コースで行われた。
女子の渕瀬真寿美(龍谷大)が1時間28分03秒の日本新で、2年ぶり2回目の優勝。2位の川﨑真裕美(富士通)も、自己の持つ日本記録を7秒短縮する1時間28分49秒だった。渕瀬は日本陸連が定めた選考基準をクリアし、ベルリン世界選手権の代表に内定した。
横浜国際女子駅伝、2008年度で終了
「横浜国際女子駅伝FINAL」が2009年2月22日、神奈川県横浜市の赤レンガ倉庫を発着点とする6区間・42.195kmのコースで行われた。
1区で飛び出した日本がそのまま独走し、10回目の優勝。横浜国際女子駅伝は27回大会をもって、その歴史に幕を閉じた。
記事提供:月刊陸上競技
平成20年4月~平成21年3月
北京五輪男子4×100mRで3位
日本男子トラックで初のメダル獲得
史上最多204の国と地域が参加した第29回夏季オリンピック北京大会は、2008年8月8日に開幕。陸上競技は大会後半の8月15日から24日までの10日間、中国の首都・北京の国家体育場(通称・鳥の巣)で熱戦を繰り広げた。ジャマイカのウサイン・ボルトが男子100m、200m、4×100mリレーの短距離3種目をすべて世界新記録で制して、連日満員のスタンドを盛り上げた大会。
日本勢は自己新ゼロに終わったものの、8日目の男子4×100mリレー決勝で快挙を達成した。昨年の大阪世界選手権で5位入賞を果たした時と同じメンバー、同じオーダー。塚原直貴(富士通)、末續慎吾(ミズノ)、髙平慎士(富士通)、朝原宣治(大阪ガス)で臨んだ日本は38秒15で3位に食い込み、日本の男子トラック種目で初、女子を含めると1928年アムステルダム大会800m銀の人見絹枝以来、実に80年ぶりのメダル獲得となる銅メダルに沸いた。

第29回夏季オリンピック北京大会 男子4×100mリレー ©フォート・キシモト
予選1組で米国をはじめ4チームがバトンミスで途中棄権し、日本はトリニダードトバゴに次いで2着通過。決勝は7レーンに入り、3走まで2番手をキープした。
アンカーは36歳の朝原。大阪世界選手権の後、「朝原さんにもう1年やってもらってメダルをプレゼントしよう」と後輩たちが誓い合い、引退を1年延ばした経緯がある。朝原は五輪で3回、世界選手権で4回、決勝のアンカーを務め、個人種目も含めてメダル獲得は今回が初。最後はブラジルの追い上げをかわして、フィニッシュラインを駆け抜けた。
初めてメダルに手が届いた要因は「経験と練習」に尽きる。補欠を含めてリレーメンバーは「バトンパスでミスはしない」と、お互いに100%信頼し切っていた。日本チームの髙野進監督は「いつか、こういう日が来ると信じていた」と感無量の表情。2走の末續は「いろんな人たちがあきらめないで歴史を築いてきてくれたお陰」と、先人たちに感謝した。

第29回夏季オリンピック北京大会 男子4×100mリレー ©フォート・キシモト
なお、10年後の2018年、1位だったジャマイカのメンバーがドーピング検査で陽性反応が出たため失格となり、銀メダルに繰り上がり。翌年5月に神奈川・横浜で開催された世界リレーで銀メダル授与式が行われた。この他、五輪連覇を狙った男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)は、80m71で5位。男子50km競歩の山崎勇喜(長谷川体育施設)は、3時間45分47秒で7位と、オリンピックの競歩種目で日本勢初の入賞を果たした。
日本選手権50km競歩で山崎が日本新
北京五輪イヤーを迎えた男子50km競歩の山崎勇喜(長谷川体育施設)は、4月13日に石川県輪島市で行われた第92回日本選手権50km競歩で5連覇。自己の持つ日本記録を1分43秒更新する3時間41分55秒の日本新をマークして、1月末の20kmと合わせて日本選手権競歩2冠。2大会連続で、両種目での五輪代表の座をほぼ確実にしていた。なお、この大会は前回、能登半島地震の影響で兵庫県神戸市での代替開催となったため、輪島では2年ぶりに開かれている。
山崎はこの記録を、10月26日に行われた第47回全日本50km競歩高畠大会(山形・高畠町)でさらに26秒更新。3時間41分29秒で、2年ぶり2度目の優勝を飾った。
女子短距離に19歳の新星登場
福島千里、100mで11秒36の日本タイ
日本グランプリ・シリーズの春季サーキットは、北京五輪の代表選手選考会を兼ねて全国各地で行われた。
第3戦の第42回織田記念は4月29日、広島市の広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で行われ、女子100mで19歳の福島千里(北海道ハイテクAC)が11秒36(+1.7)の日本タイで優勝。2001年7月に二瓶秀子(福島大院)が作った日本記録と並んだ。2位の北風沙織(北海道ハイテクAC)も、日本歴代5位に当たる11秒42の自己ベスト。そろって北京五輪の参加B標準記録(11秒42)をクリアした。

福島千里 ©フォート・キシモト
福島は、5月3日の第24回静岡国際(袋井市・小笠山総合運動公園エコパスタジアム)で行われた女子200mでは、追い風参考記録ながら日本記録(23秒33)を上回る23秒13(+2.7)で走り、再び観衆を驚かせた。
その静岡国際では、もう一つ女子短距離で素晴らしい記録が誕生した。400mの丹野麻美(ナチュリル)が、外国選手に僅差で敗れたが、51秒75の日本新。自身の持つ日本記録(51秒80)を3年ぶりに更新した。丹野だけでなく、3位の木田真有(ナチュリル)が日本歴代3位の53秒05、4位の堀江真由(ニッポンランナーズ)が日本歴代5位の53秒10という、ハイレベルなレースとなった。
女子4×100mR日本新も五輪代表逃す
北京五輪のプレ大会を兼ねた中国オープン陸上「Good Luck Beijing」が5月22~25日、五輪本番の舞台となる北京の国家体育場で開かれ、日本は男女短距離陣を中心に27人を派遣した。
石田智子(長谷川体育施設)、信岡沙希重(ミズノ)、福島千里(北海道ハイテクAC)、髙橋萌木子(平成国際大)とつないだ女子4×100mリレーは、予選で43秒67の日本新をマーク。しかし、五輪出場条件となるベスト2の記録で世界ランク16位以内に入れず、44年ぶりの五輪出場はならなかった。
日本選手権は昨年に続いて日本新ゼロ
北京五輪の代表選手選考会を兼ねた第92回日本選手権は6月26~29日の4日間、神奈川県川崎市の等々力競技場で開かれた。気象条件に恵まれず、昨年に続いて日本新はゼロ。大会新も女子10000mのみだったが、五輪代表の座を懸けて各種目で熱戦が繰り広げられた。
今季初戦となった男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)が、80m98で14連覇を達成。松宮隆行(コニカミノルタ)は、男子5000m、10000mで戦後初の3年連続2冠を達成し、女子10000mで初優勝した渋井陽子(三井住友海上)とともに、今大会の最優秀選手に選ばれた。

日本選手権 大会MVP ©フォート・キシモト
日本陸連は6月30日に臨時理事会を開き、日本選手権の結果を受けて男子18、女子7の25人をまず五輪代表に選出(男女マラソン6人と男子ハンマー投の室伏はすでに発表済み)。日本オリンピック委員会(JOC)からの割り当ては男子25、女子11の計36人で、残る4人は7月6日の第21回南部記念(函館市・千代台公園競技場)の結果を待って決めることとした。最終的に、女子100mの福島千里(北海道ハイテクAC)が、1964年東京大会の依田郁子以来、この種目で44年ぶりの五輪代表に選ばれた。
また、女子3000m障害で初めて五輪代表入りした早狩実紀(京都光華AC)は、7月20日にベルギーで開かれたナイト・オブ・アスレティックで、自己の持つ記録を4秒75短縮する9分33秒93の日本新をマークした。
大分国体女子種目で2つの日本新記録
第63回国民体育大会「チャレンジ! おおいた国体」の陸上競技は10月3~7日の5日間、大分市の大分スポーツ公園九州石油ドームで行われた。
2日目の成年女子400mハードルで、北京五輪代表の久保倉里美(新潟・新潟アルビレックスRC)が、自身の持つ日本記録を0秒25更新。来年開かれるベルリン世界選手権の参加A標準記録(55秒50)を突破する55秒46の2年ぶり日本新で優勝した。同10000m競歩の川﨑真裕美(茨城・海老澤製作所)も、自己の持つ記録を10秒以上塗り替える43分53秒51の日本新をマークした。
日本陸連は国体期間中の10月5日、大分市内で臨時理事会を開き、原則として認めていない外国人選手の日本選手権出場を見直す方針を固めた。北京五輪の結果を受けて、河野洋平会長が提案した。過去に日本選手権の外国人選手出場は認められていたが、長距離種目を中心に外国籍の選手の出場が増加していったため、国内選手権という観点から2005年に参加資格が変更。翌年からは日本人選手だけで大会が行われていた。また、この日の理事会では、五輪マラソン選考レースの一本化なども協議された。
東京国際女子マラソンが第30回大会で閉幕
2008東京国際女子マラソンが11月16日、国立競技場を発着点とするコースで行われた。第30回の記念大会を機に、その歴史に幕を閉じる最後のレースを制したのは、2度目のマラソンで初優勝した尾崎好美(第一生命)。2時間23分30秒は日本歴代10位タイの記録だった。

東京国際女子マラソン ©フォート・キシモト
日本人トップの選手は2009年夏にドイツのベルリンで開かれる世界選手権の代表に内定。尾崎は男女マラソンの代表第1号になった。
「長距離・ロード特別委員会」を新設
日本陸連は11月18日、北京五輪でマラソンが惨敗したことを踏まえ、選手強化を担当する強化委員会から長距離・マラソンと競歩部門を独立させた「長距離・ロード特別委員会」の新設を発表した。12月1日からスタートする。
委員長は澤木啓祐専務理事が兼務し、強化委員会のロード・長距離対策委員長だった木内敏夫氏が委員長代理に就任。河野洋平会長は「マラソンは新しい時代に入り、日本の状況はかなり深刻で、危機感を持っている。我々ができる最善の策と思って採用した」と説明した。
北京五輪・室伏の順位が二転三転
12月11日、国際オリンピック委員会(IOC)がスイス・ローザンヌで開いた理事会で、北京五輪男子ハンマー投で2位になったワディム・デヴャトフスキー、3位のイワン・ティホン(ともにベラルーシ)をドーピング違反で失格とし、メダルを剥奪することを決めた。当初5位の室伏広治(ミズノ)は2つ順位が繰り上がり、銅メダルが確定した。

室伏広治 ©フォート・キシモト
だが、2010年にその裁定が覆り、デヴャトフスキー、ティホンのメダルが復活。室伏の順位は5位のままとなった。
日本陸連アスレティック・アワード2008
「日本陸連アスレティック・アワード2008」が12月15日、都内のホテルで開催された。今年の最優秀選手に贈られる「アスリート・オブ・ザ・イヤー」は、北京五輪で銅メダルを獲得した男子4×100mリレーのメンバーが受賞した。

アワード北京五輪男子4継 ©フォート・キシモト
女子20km競歩で渕瀬と川﨑が日本新
第92回日本選手権20km競歩は2009年1月25日、兵庫県神戸市の六甲アイランド甲南大学周辺コースで行われた。
女子の渕瀬真寿美(龍谷大)が1時間28分03秒の日本新で、2年ぶり2回目の優勝。2位の川﨑真裕美(富士通)も、自己の持つ日本記録を7秒短縮する1時間28分49秒だった。渕瀬は日本陸連が定めた選考基準をクリアし、ベルリン世界選手権の代表に内定した。
横浜国際女子駅伝、2008年度で終了
「横浜国際女子駅伝FINAL」が2009年2月22日、神奈川県横浜市の赤レンガ倉庫を発着点とする6区間・42.195kmのコースで行われた。
1区で飛び出した日本がそのまま独走し、10回目の優勝。横浜国際女子駅伝は27回大会をもって、その歴史に幕を閉じた。
記事提供:月刊陸上競技


