日本陸上競技連盟史
新芽期:1985年度~1990年度
1985年度~1990年度
昭和60年~平成3年3月
神戸ユニバ、女子マラソン深尾が金
4月1日に日本陸連副会長に河野洋平氏が加わる。
4月13、14日に第1回ワールドカップ・マラソン(広島)が開催され、男子は中山竹通(ダイエー)が2時間8分15秒の日本最高をマークし、2位に入った。アーメド・サラ(ジブチ)が2時間8分09秒で優勝した。女子はカトリン・ドーレ(東ドイツ)が2時間33分30秒で制している。
4月21日のロンドン・マラソンの女子でイングリッド・クリスチャンセン(ノルウェー)が2時間21分06秒の世界最高で勝った。賞金・ボーナスを合わせて7万5千ドルを得た。
第69回日本選手権は神戸ユニバーシアード最終選考会を兼ね、東京・国立競技場で5月31日~6月2日に開催。三段跳の山下訓史(筑波大)が16m77の日本新で優勝し、砲丸投では瓜田吉久(筑波大大学院)が17m24の日本新を樹立した。
6月22、23日に第5回太平洋沿岸5ヵ国対抗が米国・カリフォルニア大パークレー校で開催。男子400mの高野進(東海大)が45秒95、10000mの遠藤司(エスビー食品)は13分54秒45、走幅跳の臼井淳一(デサント)は7m69、三段跳の植田恭史(美津濃)が16m36でそれぞれ2位に入った。4×400mリレー(鈴木弘光、高野、三芝功一、川角博美)も3分09秒80で2位だった。女子400mハードルの佐藤陽子(中京大)は57秒92の日本新で4位になった。
海外の大会が増えたことから、この大会の初期の目的は達成されたとし、今後はジュニアの大会に移行。第5回大会で終了することになった。
7月13日、パリの競技会で男子棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が史上初めて6m00をクリアする世界新を樹立した。
8月24日~9月4日、日本で2度目のユニバーシアード大会が兵庫県神戸市で開催された。日本選手団の団長は帖佐寛章氏が務め、291人という大会史上最大の選手団を編成して全競技に出場。米国、ソ連を含む史上最多の106ヵ国・地域が参加した。陸上は開閉会式会場の神戸総合運動公園陸上競技場を主会場に8月29日から行われた。
8月24日の開会式では筑波の科学万博会場から運ばれた「科学の火」を女子七種競技の辰巳公子(広峯中教)が、広島で採火された「平和の灯」を男子マラソンの渋谷俊浩(筑波大)がそれぞれ掲げ、「友情の火」として競技場のスタンド上で点火した。
日本学生陸上競技連合は6月8日に男子23、女子19の実施種目の全てにエントリーする選手団を発表。当初は男子42人、女子30人の予定だったが、全体の枠内の調整で男子44人、女子28人の編成となった。総監督は小掛照二氏、監督は関岡康雄氏が務めた。
マラソンは9月1日午前7時30分、日本の公式レースでは初めて男女同時に競技場をスタートした。ポートアイランド市民広場にフィニッシュする片道コース。スタート時の気温27度、湿度77%。ゴール時は31.5度、65%の高温多湿のレースとなった。
10人が参加した女子で深尾真美(三田工業)が40km手前から抜け出し、男子選手もかわして2時間44分54秒の大会新で優勝のテープを切った。ユニバーシアードの日本女子の優勝は1967年東京大会の走高跳・竹田真美以来、史上2度目。深尾は6月9日の日本選手権10000mで優勝するなど、スタミナとともにスピードにも磨きをかけ、金メダルをつかみ取った。西島菊代(日野南中教)は3時間9分03秒で6位、倉橋尚巳(筑波大)は3時間27分06秒の8位と3人とも入賞した。完走は8人。
23人が出場した男子で、日本勢は渋谷が22㎞過ぎまで3位争いを展開した。後半にペースダウンしたものの、2時間27分12秒で7位に入賞。渋谷は最後は左足を引きずりながらフィニッシュした。
男子10000mでは前回のエドモントン大会で優勝した米重修一(旭化成)に期待がかかった。ラスト2周でスパート合戦となり、29分11秒73で銅メダル。最後の直線までもつれた争いで1位には0.49秒及ばず、2位とは0.02秒差だった。加藤覚(日産自動車)は29分24秒95で5位だった。
5000mでも日本勢が上位争いを展開し、遠藤はメダルに惜しくも届かなかったが13分58秒36で4位。米重は14分04分64で6位だった。3000m障害は前回銅メダルの愛敬重之(中京大)が8分35秒10で6位入賞。400mでは高野が準決勝で45秒30の日本新を出したが、翌日の決勝は200m付近で左太ももに肉離れを起こして無念の棄権。4×400mリレー(鈴木弘光、鈴木岳生、山内健次、鈴木専哉)は高野を欠きながらも3分05秒09の日本新で6位入賞、4×100mリレー(米内聡、栗原浩司、有川秀之、朝羽淳)も39秒93で6位に入った。
フィールドでも健闘した。棒高跳は板倉智里(甲府西高教)が自己記録を10cm更新する5m30で5位に入賞し、橋岡利行(筑波大)は5m00で8位。やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は81m14で6位に入った。三段跳の山下訓史(筑波大)は16m62で7位。砲丸投の瓜田吉久(筑波大院)は17m52の日本新で8位になった。
女子では走高跳の佐藤恵(福岡大)が1m89を1回でクリア。1m91は失敗したものの、4位に食い込む。10000mの井筒紫乃(川鉄千葉)は34分50秒16で6位に入賞を飾った。4×100mリレー(谷口深樹、倉田良枝、倉掛理恵、原悦子)は45秒97で7位、6チームが参加の4×400mリレー(小野富美子、佐藤陽子、伊藤留美子、伊藤まどか)は3分49秒29で6位だった。
男子走高跳では快挙が成し遂げられる。イーゴリ・パクリン(ソ連)は2m35の大会新を1回でクリアして1位を確定させると、未公認の世界最高を1cm上回る2m41に挑戦した。191㎝、72kgのパクリンは大きなストライドの12歩助走。1、2回目は抜き足がバーにかかったが、3回目に右脚の力強い踏み切りから高く舞い、見事に成功した。午後6時07分、世界記録が誕生した。午後3時に始まった競技は3時間以上が経過し、クライマックスを迎えた。日本勢は野中悟(中京大)が2m23で9位だった。
この大会では電子制御のピストルとスターティングブロック、フィールド種目では光波測定装置が登場するなど、先進の技術が投入された。
9月21、22日に米ソ対抗を復活させ、米ソ日対抗として東京・国立競技場で開催。男子10000mでは米重修一(旭化成)が28分39秒04で優勝した。
9月25~29日に第6回アジア陸上(ジャカルタ)が開催され、男子では5000mで阿久津浩三(福島病院)と浦田春生(本田技研)が激しく競り合い、阿久津が14分22秒11、浦田は14秒22秒42で1、2位を占めた。走高跳は氏野修次(近大付和歌山高教)が2m24で1位、阪本孝男(東海スポーツ)が2m22で2位。3000m障害は愛敬が8分46秒96で制した。日本の優勝はこの3種目で、前回(4つ)から減らすことになった。中国は19種目で優勝した。
10月4~6日に地域別対抗戦、第4回ワールドカップ(キャンベラ)が開催。日本勢は男子走高跳の氏野が2m15で6位に入っている。
ソウル・アジア大会で「鉄人」室伏5連覇
1986年(昭和61年)、1月15日に大阪城ホールで行われた「よみうり国際室内」の男子60mでベン・ジョンソン(カナダ)が6秒50、棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が5m87のともに室内世界新をマークした。
4月20日のロンドン・マラソンでは、瀬古利彦(エスビー食品)が2時間10分02秒で優勝した。瀬古への優勝賞金に関しては競技者基金の制度を適用。陸連の競技者基金特別委員会が窓口となって出場料を含めて管理し、現役引退後に本人が受け取る。
第70回日本選手権は5月30日~6月1日に東京・国立競技場で開催。男子の三段跳で社会人1年目の山下訓史(日本電気)が日本人で初めて17mの大台到達を果たす17m15で制した。ハンマー投では40歳の室伏重信(中京大ク)は70m20で優勝した。10連覇を含む12度目の優勝。この大会が最後の日本選手権出場となった。この年から男子やり投におけるやりの規格が変更され(重心位置を4cm前方へ変更)、天野雅教(東海大)が78m54で勝った。
7月16~20日、IAAF第1回世界ジュニア選手権大会がギリシャ・アテネで開催され、日本は男子21、女子8人が参加。男子400mハードルで垣守博(添上高・奈良)がジュニア日本新・高校新の50秒09で銀メダルを獲得した。
9月20~10月5日、第10回アジア競技大会が2年後に五輪を控える韓国・ソウルで開催。韓国と国交のない中国、ブータン、イランを含む27の国・地域から約4800人が参加した。開幕直前の9月14日にはソウル金浦空港で爆弾テロが発生し、5人が死亡。緊張感が高まった中での開幕となった。陸上は9月29日に始まり、日本チームの監督は小掛照二氏が務め、11種目(男子9、女子2)で金メダルを獲得。銀、銅を合わせたメダル総数は35個だった。中国は金17、銀18、銅8の43個を獲得し、日本を抜いて1位になった。
男子ハンマ一投では2日後に41歳になる「アジアの鉄人」室伏重信(中京大教)が69m20で、5連覇の偉業を達成した。
男子400mは7月にヘルシンキで45秒24の日本記録を出した高野進(東海大大学院)が積極的に飛ばし、45秒00のアジア新で2連覇。4×400mリレー(小中冨公一、山内健次、川角博美、高野)も3分02秒33のアジア新で制し、2冠に輝く。
マラソンでは中山竹通(ダイエー)が2時間8分21秒で圧勝した。谷口浩美(旭化成)は2時間10分08秒で2位に入った。中山は前半から積極的に飛ばし、20kmはカルロス・ロペス(ポルトガル)の世界記録(2時間7分12秒)のペースをしのぐ勢いだった。気温が上昇した25km以降にペースを落としたが、自身3度目の2時間8分台をマークした。
10000mは新宅雅也(エスビー食品)が勝負強さを発揮して28分26秒74で日本勢12年ぶりの優勝を果たし、瀬古利彦(同)は29分31秒90で3位に続いた。瀬古は10000mエントリー後に中国の強豪が5000mに出場することがわかり、急きょ5000mへの出場種目変更を申し入れたが認められず、10000m出場に戻した。ソウル入りはレース前日。10月のシカゴ・マラソン出場に向けて5日前に北海道で40㎞のタイムトライアルをこなしており、腹痛で7100mで一瞬立ち止まるシーンもあった。その中で銅メダルは確保した。
3000m障害は愛敬重之(東洋ベアリング)が8分36秒98で日本勢6連覇。1500mは大志田秀次(本田技研)が鮮やかなスパートを放ち、3分43秒88で優勝。5000mでは新宅は13分52秒65で2位、金井豊(エスビー食品)は13分53秒73で3位だった。400mハードルでは吉田良一(順大)は0.09秒差で優勝は逃したものの、アジア記録を上回る49秒40の日本新で2位に入った。100mの不破弘樹(法大)は10秒44で、10秒30のタラル・マンスール(カタール)に次ぐ銀メダル。4×100mリレー(有川秀之、宮崎博史、小池弘文、不破)は39秒31の日本新で銀メダル。中国が39秒17のアジア新で制した。
三段跳は山下訓史(日本電気)が17m01で金メダル。ソウル入り直前に軽い足の故障を起こしていたが、スピードを生かした鋭いジャンプで圧勝した。やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は1投目の76m60でそのまま逃げ切り、優勝した。
棒高跳の橋岡利行(青桐ク)は5m10を跳べず記録なし。第1回から続いた日本勢の同種目連勝が10回大会で途切れた。
初開催の女子マラソンは浅井えり子(日本電気HE)が2時間41分03秒で1位、宮原美佐子(旭化成)が2時間41分36秒で2位になった。日本の2人は38kmで前へ出て、上位を独占した。女子走高跳はジャンプオフの末、佐藤恵(福岡大)が1m89で優勝した。この種目の日本勢金メダルは1970年以来16年ぶりだった。
前回4冠の磯崎公美(ナイキジャパン)は400mで53秒76で銅メダルを獲得し、4×400mリレー(本多桂子、腰本ひとみ、新井文子、磯崎)はアンカーとして3分39秒77で2位に入った。インドのP.T.ウシャが200m、400m、400mハードル、4×400mリレーの4種目で金メダル、100mで銀と計5種目でメダルを獲得した。
10月14日、国際オリンピック委員会(IOC)が五輪運動の功労者に贈るオリンピックオーダー(五輪功労章)の銀章受章者として、日本陸連の青木半治会長を発表した。
10月19日の北京国際マラソンで児玉泰介(旭化成)が2時間7分35秒の日本最高で優勝。2位の伊藤国光(鐘紡)も2時間7分57秒の好タイムを出した。
10月26日、シカゴ・マラソンで瀬古利彦(エスビー食品)が2時間8分27秒をマークして優勝、海外マラソン2連勝とした。
11月30日にはIAAF主催の国際駅伝、第1回ワールドチャレンジロードリレーが広島で開催され、男子はエチオピアが1時間59分11秒、女子はニュージーランドが2時間18分18秒で1位。日本は男子4位、女子8位だった。
第2回世界選手権で溝口6位、ジョンソン、ルイス破るも後に抹消
1987年(昭和62年)は1月15日、よみうりチトセ国際室内(大阪城ホール)の男子60mでベン・ジョンソン(カナダ)が6秒44、棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が5m96、三段跳のオレグ・プロツェンコ(ソ連)が17m67の室内世界新をマークした。
3月6~8日には第1回世界室内選手権(米国・インディアナポリス)が開催された。
3月29日にイタリア・ローマで開かれた国際陸連(IAAF)評議員会で、1991年の第3回世界選手権の開催地が東京に決まった。
4月1日、藤枝昭英氏が副会長から名誉副会長へ。副会長に朝隈善郎氏が加わった。
4月20日のボストン・マラソンで、瀬古利彦(エスビー食品)が2時間11分50秒で優勝し、海外マラソン3連勝を飾った。
第71回日本選手権は6月13、14日に東京・国立競技場で開催。女子三段跳が初めて実施され、芳谷美貴子(愛工大名電職)が12m12で勝った。男子走幅跳の臼井淳一(日本エアロビクスセンター)が8m07で8度目の優勝を果たした。
男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)が5月2日の東京選手権(国立)で84m16の日本新。5月30日の国際グランプリ(GP)、ブルース・ジェンナ一・クラシック(米カリフォルニア州サンノゼ)では84m00で日本人初の優勝を果たした。
7月8~19日に開催された第14回ユニバーシアード大会(ユーゴスラビア・ザグレブ)で、男子マラソンの泉宜広(ダイエー)が2時間24分23秒で金メダルを獲得した。村上亨史(本田技研)は2時間24分55秒で銀メダル。400mハードルの吉田良一(福井商高教)は49秒20の日本新で銅メダルを獲得した。3000m障害の愛敬重之(東洋ベアリング)も8分34秒23で3位に入った。4×100mリレー(青戸慎司、市川武志、太田裕久、不破弘樹)は39秒57で3位。女子ではマラソンで金刺貴子(三田工業)が2時間46分33秒で2位。1位とは3秒差だった。走高跳の佐藤恵(福岡大)は1m88で銅メダルを獲得した。佐藤は5月17日の九州インカレで1m95の日本新を樹立していた。
7月22~26日は第7回アジア選手権がシンガポールで開催された。男子3000m障害で音喜多正志(鐘紡)が9分04秒21で優勝したほか、400mハードルの大森重宜(日健)が50秒09、やり投の山田貴啓(東海大)が72m62でそれぞれ優勝。4×400mリレー(吉岡勇二、井部誠一、豊田佳人、早坂律夫)が3分09秒31で勝ち、金メダルは4個。女子の優勝はなかった。中国が21種目で優勝した。アジア陸連は大会前の7月20日の総会で、任期満了にともなう役員改選で安田誠克会長を再選(3期目)した。
8月26日の国際陸連(IAAF)総会(イタリア・ローマ)で日本陸連の青木半治会長が新評議員に選ばれた。日本では浅野均一氏、織田幹雄氏、安田誠克氏に続いて4人目となる。
8月29日~9月6日、第2回世界選手権大会がローマで開催された。4年後の東京大会開催が決まっている日本は男子22、女子7選手が参加した。男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)が80m24で、世界選手権の日本勢初入賞となる6位に入った。
跳躍は2人がファイナリストに。走幅跳の白井淳一(日本エアロビクスセンター)が8m02で予選を通過し、決勝は8m00と8mに乗せたが12位と入賞にあと一歩だった。ルイスが8m67で金メダルに輝いた。三段跳の山下訓史(日本電気)も予選を16m57で突破。だが、決勝は3回ともファウルに終わった。
男子マラソンはエスビー食品所属のダグラス・ワキウリ(ケニア)が36km過ぎに仕掛け、38kmで再びスピードを上げて2時間11分48秒で優勝した。日本勢は、西政幸(旭化成)が2時間20分51秒で22位になったのが最高。大須田祐一郎(日本電気)は26位、阿部文明(日本電気HE)は30位だった。
4×400mリレー(小中冨公一、山内健次、川角博美、高野進)は予選を3分03秒86で英国に次ぐ3組2着で通過したが、準決勝では3分04秒86の1組7着で決勝に進めなかった。4×100mリレー(松原薫、太田裕久、名倉雅弥、不破弘樹)も予選1組で39秒49の3着通過。準決勝では39秒71の1組5着で敗退した。50km競歩の園原健弘(アシックス)は21位ながら、4時間0分11秒の日本最高をマークした。
女子マラソンでは、山下美幸(住金化工)が2時間36分55秒で入賞に迫る10位。浅井えり子(日本電気HE)は2時間48分44秒で26位。初実施の10000mは荒木久美(京セラ)が33分15秒08で13位、10km競歩で平山秀子(東女体大)が49分50秒で28位だった。
世界が最も注目したのが男子100m。前回ヘルシンキ大会覇者で1984年ロサンゼルス五輪4冠のカール・ルイス(米国)と、筋骨隆々の体でスタートから周囲を圧倒する走りで連勝を続けていたベン・ジョンソン(カナダ)の対決ムードが高まり、決勝はスタートで飛び出したジョンソンが9秒83(+1.0)の驚異的な世界新で制し、2位のルイスも従来の世界記録に並ぶ9秒93を出した。だが、だが、ジョンソンは翌年のソウル五輪でアンチ・ドーピング規則違反が発覚し、五輪だけでなく今大会の成績も抹消。優勝者にはルイスが繰り上がった。
12月6日の第41回福岡国際マラソンはソウル五輪の代表3枠を懸けた代表選考会。事前に選手が「福岡一発勝負」を申し合わせていたが、瀬古利彦(エスビー食品)が左足腓骨の剥離骨折で大会12日前に欠場を発表。ピークは過ぎたとみられたものの、実績十分の瀬古の「追試」の可否を巡って世論が割れ、中山竹通(ダイエー)が「はってでも出てこい」という趣旨の発言をしたとして騒動になった。
中山は土砂降りとなったレースで序盤から飛ばして周囲を寄せ付けず、2時間8分18秒で圧勝。新宅雅也(エスビー食品)が2時間10分34秒で2位に入った。日本勢3番手は2時間11分36秒で4位の工藤一良(日産自動車)。レース後、日本陸連強化委員会は「中山、新宅までをソウル五輪代表に内定」とし、3人目は1988年2月の東京国際、3月のびわ湖毎日の結果を見て決めることになった。
ソウル五輪、マラソン中山4位、瀬古9位
100mジョンソン、衝撃のドーピング違反失格
1988(昭和63)年に入り、ソウル五輪男子マラソン代表を巡る騒動は、3月13日のびわ湖毎日マラソンで決着をみた。瀬古利彦(エスビー食品)が独走で優勝し、3人目の代表に決まった。瀬古は14度目のマラソンで10勝目。だが、25㎞以降にペースを落とし、福岡で日本勢3位の工藤よりも遅い2時間12分41秒の優勝タイムでの選出となり、選考基準があいまいだとして物議を醸すことになった。
選手、関係者、ファンの誰もが納得できる制度を求める声はその後も五輪のたびに高まり、2020年東京五輪(新型コロナウイルス感染拡大で21年に延期して開催)に向けて「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」導入へとつながっていく。
4月17日のロッテルダム・マラソン(オランダ)でベライン・デンシモ(エチオピア)が2時間6分50秒の世界最高をマークした。
第72回日本選手権は6月17日~19日に東京・国立競技場でソウル五輪代表最終選考会を兼ねて開催。昭和最後の日本選手権となった。
7月27日~31日の第2回世界ジュニア選手権(カナダ・サドバリ)に日本は男子22、女子2人が参加。男子走高跳の境田裕之(旭川北都商高)が2m19で5位に入った。
9月17日~10月2日、第24回オリンピック競技大会が韓国・ソウルで開催された。1976年モントリオール大会はアフリカ諸国、80年モスクワ大会は日米など西側諸国、84年ロサンゼルス大会はソ連などの東側諸国がボイコットしており、ソウル大会は16年ぶりに世界からアスリートが集う大会となり、史上最多の160ヵ国・地域が参加した。日本は小掛照二監督以下男子23、女子6選手が参加した。
注目の男子マラソンは小掛監督が「史上最強のトリオ」と評した中山竹通(ダイエー)、新宅永灯至(雅也)、瀬古利彦(ともにエスビー食品)で挑み、中山が2時間11分05秒で4位と今大会の日本勢ただ1人の入賞を果たした。瀬古は2時間13分41秒で9位、新宅は2時間15分42秒で17位だった。優勝はジェリンド・ボルディン(イタリア)で2時間10分32秒、日本のエスビー食品に所属するダグラス・ワキウリ(ケニア)が2時間10分47秒で銀メダルを獲得した。
男子400mの高野進(東海大AC)は2次予選を45秒00(日本タイ)の4組2着で通過し、準決勝1組では日本人初の44秒台突入となる44秒90の日本新をマークした。5着で決勝進出はならなかったが、存在感を示した。
男子100mは大会最大の注目を集め、衝撃的な結末を迎えた。ベン・ジョンソン(カナダ)とロサンゼルス五輪4冠のカール・ルイス(米国)が激突。決勝はジョンソンがスタートから圧倒し、9秒79(+1.0)の驚異的な世界新で1着となり、ルイスは9秒92で2着だった。だが、レース後のドーピング検査で禁止されている筋肉増強剤スタノゾロールが検出され、27日に金メダル剥奪が決まった。国際陸連(IAAF)は記録を抹消、2着以下の順位を繰り上げ、ルイスが金メダルとなった。ジョンソンは2年間の資格停止となり、翌年9月に開かれた国際陸連(IAAF)総会でローマ世界選手権の記録も抹消。ソウル五輪でルイスがマークした9秒92が世界記録として公認された。
4×100mリレー準決勝で日本(青戸慎司、山内健次、栗原浩司、高野)は38秒90の日本新をマークしたが、1組5着で決勝に進めなかった。4×400mリレー準決勝の日本(小池弘文、山内、川角博美、高野)も3分03秒80の2組6着で落選した。
10000mは阿久津浩三(福島病院)と米重修一(旭化成)が決勝に進み、阿久津は28分09秒70で14位、米重は29分04秒44で17位。5000mの米重は予選で13分59秒68の2組11着で決勝に進めなかった。
三段跳で山下訓史(日本電気)は予選を16m29で通過したが、決勝では1回目の15m62が最高で12位。メダルの期待もあった男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は予選で77m46にとどまり、76m90の吉田雅美(大京)とともに予選敗退した。
女子では、走高跳の佐藤恵(福岡大)が奮闘。予選で通過ラインの1m92まで1回でクリアした。決勝でも1m90を3回目に成功させ、1m93も3回目に惜しい跳躍。だが、惜しくも失敗となり、入賞にあと一歩の11位だった。10000mは、2組の松野明美(ニコニコドー)が9着で上位8着までの決勝進出には届かなかったが、32分19秒57の日本新をマークする健闘だった。
女子マラソンは浅井えり子(日本電気HE)が2時間34分41秒で24位、荒木久美(京セラ)は2時間35分15秒で28位、宮原美佐子(旭化成)は2時間35分26秒で29位だった。
10月8日、第1回東芝スーパー陸上が東京・国立競技場で始まった。雨が降り続き、棒高跳が中止。100mの女子はフローレンス・グリフィス・ジョイナーが10秒91、男子はカール・ルイス(ともに米国)が10秒09で圧勝。男子やり投はヤン・ゼレズニー(チェコスロバキア)が84m76で制し、溝口和洋(ゴールドウイン)は79m56で2位だった。
10月28日、織田幹雄名誉副会長が文化功労者に決定、発表。会長を務めた故平沼亮三氏に次いで陸上界2人目。
11月23日には全日本ジュニアクロスカントリーリレー(千葉)が始まった。
12月18日には国際千葉駅伝(千葉県総合運動場陸上競技場発着、42.195km)が始まり、男子はエチオピア、女子はニュージーランドが優勝した。日本の男子は3位。アンカーで12.195kmを力走した瀬古利彦(エスビー食品)は、このレースを最後に引退した。
溝口がGP3勝、ファイナル2位
1989年1月7日に天皇陛下が崩御。昭和が終わり、平成に改元された。
2月11日のよみうりチトセ国際室内(大阪城ホール)で男子棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が6m03の室内世界新記録を樹立した。
3月3日~5日に第2回室内世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)開催。男子400mで前年に46秒37の高校新記録をマークした渡辺高博(新居浜東高・愛媛)が、予選落ちながら47秒97の室内日本新をマークした。
4月1日、名誉副会長の織田幹雄氏が名誉会長に。青木半治会長は日本体協会長に就任した。
4月15日の第3回ワールドカップ・マラソン(ミラノ)の女子で、2時間29分37秒の日本最高記録を持つ宮原美佐子(旭化成)が2位に健闘。4月30日のパリ・マラソンでは女子の小島和恵(川鉄千葉)が2時間29分23秒の日本最高で、日本女子初の海外主要マラソン優勝を果たした。
5月27日に米カリフォルニア州サンノゼで行われた国際グランプリ(GP)第1戦、ブルース・ジェンナー・クラシックの男子やり投で、溝口和洋(ゴールドウイン)が87m60の日本新記録を樹立し、GP通算2勝目を挙げた。この記録はこの年の世界ランキング1位。当初は世界記録(87m66)を2cm上回る87m68と発表されたが、不可解な再計測の末、世界歴代2位の87m60と修正された。
溝口は7月14日のロンドンGPは85m02で優勝するなど、この年GP3勝。9月1日のGPファイナル(モナコ)では83m06で2位となった。
第73回日本選手権は6月17日~18日に東京・国立競技場で行われ、各種目で平成最初のチャンピオンが決まった。男子砲丸投の岡野雄司(日大)が17m63の日本新で初優勝。女子三段跳は磯貝美奈子(ナイキジャパン)が12m60の日本新をマークした。男子十種競技は松田克彦(順大ク)が7607点の日本新で2連覇。男子100mでは、青戸慎司(中京大)が10秒28の日本タイで初優勝した。この年から女子マラソンが日本選手権に加わり、11月19日の東京国際女子マラソンが日本選手権を兼ねて実施された。
8月22日~30日に第15回ユニバーシアード大会(ドイツ・デュイスブルク)が開催され、女子マラソンの高山明美(福岡大)が2時間39分58秒で、女子10000mの石坂雅美(東農短大)が32分16秒24で、ともに銀メダルを獲得した。男子200mでは奥山義行(日大)がこの種目の日本選手初の決勝へ進出し、20秒85(+3.4)で7位になった。
8月28日、国際オリンピック委員会(IOC)がプエルトリコ・サンファンで開いた理事会で、五輪運動の功労者に対して贈るオリンピックオーダー(五輪功労章)の銀章受章者に西田修平氏を選んだ。
9月10日の地域別対抗戦、第5回ワールドカップ(スペイン・バルセロナ)では男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)が82m56で2位に入った。
9月16日、第2回TOTOスーパー陸上(国立)開催。棒高跳のロディオン・ガタウリン(ソ連)が6m00をクリアし、屋外ではセルゲイ・ブブカ(ソ連)に次いで2人目の6mジャンパーとなった。やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は81m30で3位。
11月14~19日に第8回アジア選手権(インド・ニューデリー)が開催された。ベストメンバーではない編成で臨んだ日本だが、男子の200mで奥山義行 (日大)が20秒80の自己タイをマークして優勝、20km競歩で酒井浩文(飯田広域消防署)が1時間33分41秒で、4×400mリレー(村田勇、松永成旦、井部誠一、館義和)で3分07秒20で制した。金メダルはこの3個。翌年に北京アジア競技大会を控える中国は、22個の金メダルを量産した。
北京アジア大会で金メダル7、地元・中国29種目でV
1990年(平成2年)2月25日に横浜国際女子駅伝が行われ、日本チームが2時間16分31秒で初優勝した。
第74回日本選手権は6月9~10日に千葉県総合運動場陸上競技場で開催された。
8月8~12日の第3回世界ジュニア選手権(ブルガリア・プロブジブ)に男子22、女子4人が参加。男子400mハードルで斎藤嘉彦(法大)が49秒99、女子10000mの太田利香(ワコール)が33分06秒85でともに銀メダルを獲得した。女子3000mでは松本初美(ワコール)が9分11秒92で3位になった。
9月15日に第3回TOTOスーパー陸上が静岡市の草薙陸上競技場で開催。男子やり投は溝口和洋(ゴールドウイン)が82m06で優勝。110mハードルで5位の岩崎利彦(富士通)が13秒82の日本新をマークした。
東京で国際オリンピック委員会(IOC)総会が開かれ、9月18日に1996年の第26回オリンピック開催都市に米国ジョージア州アトランタに決めた。19日には新五輪憲章を採択。プロ選手、コーチの五輪出場を禁止している条項を削除するなど、実態に対応した内容になった。20日にはオリンピックオーダー(五輪功労章)の銀章受章者として田島直人氏を選出した。
9月22日~10月7日に第11回アジア競技大会が中国・北京で開催された。陸上は9月27日~10月3日に行われ、日本は大串啓二監督以下、男子36、女子23選手が参加。37の国・地域が参加した。日本は男子6、女子1の7種目で優勝。中国は43種目中29種目で金メダルを獲得し、自国開催を大いに盛り上げた。
男子200mでは高野進(東海大教)が序盤から積極的な走り。コーナーの出口で身体一つリードし、20秒94(-1.6)でこの種目の日本勢初の金メダルに輝いた。長距離では、森下広一(旭化成)は10000mでは9300mから勝負をかけて28分47秒96で金メダル、5000mは13分50秒23で銀メダルを得た。3000m障害は山田和人(日産自動車)が8分34秒64で制し、日本勢の連勝を7に伸ばした。
十種競技は金子宗弘(順大)が7799点で1位。父・宗平は第4回大会の円盤投で3位に入っており、父子でのメダル獲得となった。やり投は吉田雅美(大京)が77m26で優勝し、2連覇を狙った溝口和洋(ゴールドウイン)は75m84で3位。この種目の日本の連勝は3に伸びた。
4×400mリレーはエース・高野抜きのオーダーで臨んだ日本(小中冨公一、岩佐克俊、望月勇志、渡辺高博)が3分05秒82で金メダル。マラソンは清水悟(鐘紡)が2時間14分46秒で2位を占めた。清水は、8月に合宿先の北海道で交通事故死した谷口伴之選手(エスビー食品)の代役での出場だった。この事故では5000m、10000mに出場予定だった金井豊選手も亡くなった。
20km競歩では酒井浩文(国士大)が1時間23分17秒の日本最高で2位。優勝者とは1秒差だった。
女子では走高跳の佐藤恵(福岡県教委)が1m94の大会新で2連覇した。この高さを1回でクリアし、自らの日本記録を1cm上回る1m96にバーを上げたが失敗した。
女子マラソンは荒木久美(京セラ)が35㎞過ぎでトップに立ったが逃げ切れず、優勝した趙友鳳(中国)に15秒差の2時間35分34秒で2位。10000mは松野明美(ニコニコドー)が自身の日本記録(31分54秒0、1989年)に迫る31分56秒93の力走で3位に健闘した。3000mでは村中真保美(九州NEC)が5位ながら9分02秒04の日本新をマークした。
クウェートに侵攻したイラクが開幕直前に締め出され、一方のクウェートは規模を縮小して出場した。台湾が主張していた「中華台北」の呼称を中国が認めたため、台湾が20年ぶりに出場した。
9月30日の第17回ベルリン・マラソンは、東西ドイツ統一に伴い、初めて東西ベルリン市街で開かれた。スティーブ・モネゲッティ(豪州)が2時間8分16秒で優勝した。
1991年(平成3年)3月8~10日には第3回世界室内選手権(セビリア)が開催された。
記事提供:月刊陸上競技
昭和60年~平成3年3月
神戸ユニバ、女子マラソン深尾が金
4月1日に日本陸連副会長に河野洋平氏が加わる。
4月13、14日に第1回ワールドカップ・マラソン(広島)が開催され、男子は中山竹通(ダイエー)が2時間8分15秒の日本最高をマークし、2位に入った。アーメド・サラ(ジブチ)が2時間8分09秒で優勝した。女子はカトリン・ドーレ(東ドイツ)が2時間33分30秒で制している。
4月21日のロンドン・マラソンの女子でイングリッド・クリスチャンセン(ノルウェー)が2時間21分06秒の世界最高で勝った。賞金・ボーナスを合わせて7万5千ドルを得た。
第69回日本選手権は神戸ユニバーシアード最終選考会を兼ね、東京・国立競技場で5月31日~6月2日に開催。三段跳の山下訓史(筑波大)が16m77の日本新で優勝し、砲丸投では瓜田吉久(筑波大大学院)が17m24の日本新を樹立した。
6月22、23日に第5回太平洋沿岸5ヵ国対抗が米国・カリフォルニア大パークレー校で開催。男子400mの高野進(東海大)が45秒95、10000mの遠藤司(エスビー食品)は13分54秒45、走幅跳の臼井淳一(デサント)は7m69、三段跳の植田恭史(美津濃)が16m36でそれぞれ2位に入った。4×400mリレー(鈴木弘光、高野、三芝功一、川角博美)も3分09秒80で2位だった。女子400mハードルの佐藤陽子(中京大)は57秒92の日本新で4位になった。
海外の大会が増えたことから、この大会の初期の目的は達成されたとし、今後はジュニアの大会に移行。第5回大会で終了することになった。
7月13日、パリの競技会で男子棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が史上初めて6m00をクリアする世界新を樹立した。
8月24日~9月4日、日本で2度目のユニバーシアード大会が兵庫県神戸市で開催された。日本選手団の団長は帖佐寛章氏が務め、291人という大会史上最大の選手団を編成して全競技に出場。米国、ソ連を含む史上最多の106ヵ国・地域が参加した。陸上は開閉会式会場の神戸総合運動公園陸上競技場を主会場に8月29日から行われた。
8月24日の開会式では筑波の科学万博会場から運ばれた「科学の火」を女子七種競技の辰巳公子(広峯中教)が、広島で採火された「平和の灯」を男子マラソンの渋谷俊浩(筑波大)がそれぞれ掲げ、「友情の火」として競技場のスタンド上で点火した。
日本学生陸上競技連合は6月8日に男子23、女子19の実施種目の全てにエントリーする選手団を発表。当初は男子42人、女子30人の予定だったが、全体の枠内の調整で男子44人、女子28人の編成となった。総監督は小掛照二氏、監督は関岡康雄氏が務めた。
マラソンは9月1日午前7時30分、日本の公式レースでは初めて男女同時に競技場をスタートした。ポートアイランド市民広場にフィニッシュする片道コース。スタート時の気温27度、湿度77%。ゴール時は31.5度、65%の高温多湿のレースとなった。
10人が参加した女子で深尾真美(三田工業)が40km手前から抜け出し、男子選手もかわして2時間44分54秒の大会新で優勝のテープを切った。ユニバーシアードの日本女子の優勝は1967年東京大会の走高跳・竹田真美以来、史上2度目。深尾は6月9日の日本選手権10000mで優勝するなど、スタミナとともにスピードにも磨きをかけ、金メダルをつかみ取った。西島菊代(日野南中教)は3時間9分03秒で6位、倉橋尚巳(筑波大)は3時間27分06秒の8位と3人とも入賞した。完走は8人。
23人が出場した男子で、日本勢は渋谷が22㎞過ぎまで3位争いを展開した。後半にペースダウンしたものの、2時間27分12秒で7位に入賞。渋谷は最後は左足を引きずりながらフィニッシュした。
男子10000mでは前回のエドモントン大会で優勝した米重修一(旭化成)に期待がかかった。ラスト2周でスパート合戦となり、29分11秒73で銅メダル。最後の直線までもつれた争いで1位には0.49秒及ばず、2位とは0.02秒差だった。加藤覚(日産自動車)は29分24秒95で5位だった。
5000mでも日本勢が上位争いを展開し、遠藤はメダルに惜しくも届かなかったが13分58秒36で4位。米重は14分04分64で6位だった。3000m障害は前回銅メダルの愛敬重之(中京大)が8分35秒10で6位入賞。400mでは高野が準決勝で45秒30の日本新を出したが、翌日の決勝は200m付近で左太ももに肉離れを起こして無念の棄権。4×400mリレー(鈴木弘光、鈴木岳生、山内健次、鈴木専哉)は高野を欠きながらも3分05秒09の日本新で6位入賞、4×100mリレー(米内聡、栗原浩司、有川秀之、朝羽淳)も39秒93で6位に入った。
フィールドでも健闘した。棒高跳は板倉智里(甲府西高教)が自己記録を10cm更新する5m30で5位に入賞し、橋岡利行(筑波大)は5m00で8位。やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は81m14で6位に入った。三段跳の山下訓史(筑波大)は16m62で7位。砲丸投の瓜田吉久(筑波大院)は17m52の日本新で8位になった。
女子では走高跳の佐藤恵(福岡大)が1m89を1回でクリア。1m91は失敗したものの、4位に食い込む。10000mの井筒紫乃(川鉄千葉)は34分50秒16で6位に入賞を飾った。4×100mリレー(谷口深樹、倉田良枝、倉掛理恵、原悦子)は45秒97で7位、6チームが参加の4×400mリレー(小野富美子、佐藤陽子、伊藤留美子、伊藤まどか)は3分49秒29で6位だった。
男子走高跳では快挙が成し遂げられる。イーゴリ・パクリン(ソ連)は2m35の大会新を1回でクリアして1位を確定させると、未公認の世界最高を1cm上回る2m41に挑戦した。191㎝、72kgのパクリンは大きなストライドの12歩助走。1、2回目は抜き足がバーにかかったが、3回目に右脚の力強い踏み切りから高く舞い、見事に成功した。午後6時07分、世界記録が誕生した。午後3時に始まった競技は3時間以上が経過し、クライマックスを迎えた。日本勢は野中悟(中京大)が2m23で9位だった。
この大会では電子制御のピストルとスターティングブロック、フィールド種目では光波測定装置が登場するなど、先進の技術が投入された。
9月21、22日に米ソ対抗を復活させ、米ソ日対抗として東京・国立競技場で開催。男子10000mでは米重修一(旭化成)が28分39秒04で優勝した。
9月25~29日に第6回アジア陸上(ジャカルタ)が開催され、男子では5000mで阿久津浩三(福島病院)と浦田春生(本田技研)が激しく競り合い、阿久津が14分22秒11、浦田は14秒22秒42で1、2位を占めた。走高跳は氏野修次(近大付和歌山高教)が2m24で1位、阪本孝男(東海スポーツ)が2m22で2位。3000m障害は愛敬が8分46秒96で制した。日本の優勝はこの3種目で、前回(4つ)から減らすことになった。中国は19種目で優勝した。
10月4~6日に地域別対抗戦、第4回ワールドカップ(キャンベラ)が開催。日本勢は男子走高跳の氏野が2m15で6位に入っている。
ソウル・アジア大会で「鉄人」室伏5連覇
1986年(昭和61年)、1月15日に大阪城ホールで行われた「よみうり国際室内」の男子60mでベン・ジョンソン(カナダ)が6秒50、棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が5m87のともに室内世界新をマークした。
4月20日のロンドン・マラソンでは、瀬古利彦(エスビー食品)が2時間10分02秒で優勝した。瀬古への優勝賞金に関しては競技者基金の制度を適用。陸連の競技者基金特別委員会が窓口となって出場料を含めて管理し、現役引退後に本人が受け取る。
第70回日本選手権は5月30日~6月1日に東京・国立競技場で開催。男子の三段跳で社会人1年目の山下訓史(日本電気)が日本人で初めて17mの大台到達を果たす17m15で制した。ハンマー投では40歳の室伏重信(中京大ク)は70m20で優勝した。10連覇を含む12度目の優勝。この大会が最後の日本選手権出場となった。この年から男子やり投におけるやりの規格が変更され(重心位置を4cm前方へ変更)、天野雅教(東海大)が78m54で勝った。
7月16~20日、IAAF第1回世界ジュニア選手権大会がギリシャ・アテネで開催され、日本は男子21、女子8人が参加。男子400mハードルで垣守博(添上高・奈良)がジュニア日本新・高校新の50秒09で銀メダルを獲得した。
9月20~10月5日、第10回アジア競技大会が2年後に五輪を控える韓国・ソウルで開催。韓国と国交のない中国、ブータン、イランを含む27の国・地域から約4800人が参加した。開幕直前の9月14日にはソウル金浦空港で爆弾テロが発生し、5人が死亡。緊張感が高まった中での開幕となった。陸上は9月29日に始まり、日本チームの監督は小掛照二氏が務め、11種目(男子9、女子2)で金メダルを獲得。銀、銅を合わせたメダル総数は35個だった。中国は金17、銀18、銅8の43個を獲得し、日本を抜いて1位になった。
男子ハンマ一投では2日後に41歳になる「アジアの鉄人」室伏重信(中京大教)が69m20で、5連覇の偉業を達成した。
男子400mは7月にヘルシンキで45秒24の日本記録を出した高野進(東海大大学院)が積極的に飛ばし、45秒00のアジア新で2連覇。4×400mリレー(小中冨公一、山内健次、川角博美、高野)も3分02秒33のアジア新で制し、2冠に輝く。
マラソンでは中山竹通(ダイエー)が2時間8分21秒で圧勝した。谷口浩美(旭化成)は2時間10分08秒で2位に入った。中山は前半から積極的に飛ばし、20kmはカルロス・ロペス(ポルトガル)の世界記録(2時間7分12秒)のペースをしのぐ勢いだった。気温が上昇した25km以降にペースを落としたが、自身3度目の2時間8分台をマークした。
10000mは新宅雅也(エスビー食品)が勝負強さを発揮して28分26秒74で日本勢12年ぶりの優勝を果たし、瀬古利彦(同)は29分31秒90で3位に続いた。瀬古は10000mエントリー後に中国の強豪が5000mに出場することがわかり、急きょ5000mへの出場種目変更を申し入れたが認められず、10000m出場に戻した。ソウル入りはレース前日。10月のシカゴ・マラソン出場に向けて5日前に北海道で40㎞のタイムトライアルをこなしており、腹痛で7100mで一瞬立ち止まるシーンもあった。その中で銅メダルは確保した。
3000m障害は愛敬重之(東洋ベアリング)が8分36秒98で日本勢6連覇。1500mは大志田秀次(本田技研)が鮮やかなスパートを放ち、3分43秒88で優勝。5000mでは新宅は13分52秒65で2位、金井豊(エスビー食品)は13分53秒73で3位だった。400mハードルでは吉田良一(順大)は0.09秒差で優勝は逃したものの、アジア記録を上回る49秒40の日本新で2位に入った。100mの不破弘樹(法大)は10秒44で、10秒30のタラル・マンスール(カタール)に次ぐ銀メダル。4×100mリレー(有川秀之、宮崎博史、小池弘文、不破)は39秒31の日本新で銀メダル。中国が39秒17のアジア新で制した。
三段跳は山下訓史(日本電気)が17m01で金メダル。ソウル入り直前に軽い足の故障を起こしていたが、スピードを生かした鋭いジャンプで圧勝した。やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は1投目の76m60でそのまま逃げ切り、優勝した。
棒高跳の橋岡利行(青桐ク)は5m10を跳べず記録なし。第1回から続いた日本勢の同種目連勝が10回大会で途切れた。
初開催の女子マラソンは浅井えり子(日本電気HE)が2時間41分03秒で1位、宮原美佐子(旭化成)が2時間41分36秒で2位になった。日本の2人は38kmで前へ出て、上位を独占した。女子走高跳はジャンプオフの末、佐藤恵(福岡大)が1m89で優勝した。この種目の日本勢金メダルは1970年以来16年ぶりだった。
前回4冠の磯崎公美(ナイキジャパン)は400mで53秒76で銅メダルを獲得し、4×400mリレー(本多桂子、腰本ひとみ、新井文子、磯崎)はアンカーとして3分39秒77で2位に入った。インドのP.T.ウシャが200m、400m、400mハードル、4×400mリレーの4種目で金メダル、100mで銀と計5種目でメダルを獲得した。
10月14日、国際オリンピック委員会(IOC)が五輪運動の功労者に贈るオリンピックオーダー(五輪功労章)の銀章受章者として、日本陸連の青木半治会長を発表した。
10月19日の北京国際マラソンで児玉泰介(旭化成)が2時間7分35秒の日本最高で優勝。2位の伊藤国光(鐘紡)も2時間7分57秒の好タイムを出した。
10月26日、シカゴ・マラソンで瀬古利彦(エスビー食品)が2時間8分27秒をマークして優勝、海外マラソン2連勝とした。
11月30日にはIAAF主催の国際駅伝、第1回ワールドチャレンジロードリレーが広島で開催され、男子はエチオピアが1時間59分11秒、女子はニュージーランドが2時間18分18秒で1位。日本は男子4位、女子8位だった。
第2回世界選手権で溝口6位、ジョンソン、ルイス破るも後に抹消
1987年(昭和62年)は1月15日、よみうりチトセ国際室内(大阪城ホール)の男子60mでベン・ジョンソン(カナダ)が6秒44、棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が5m96、三段跳のオレグ・プロツェンコ(ソ連)が17m67の室内世界新をマークした。
3月6~8日には第1回世界室内選手権(米国・インディアナポリス)が開催された。
3月29日にイタリア・ローマで開かれた国際陸連(IAAF)評議員会で、1991年の第3回世界選手権の開催地が東京に決まった。
4月1日、藤枝昭英氏が副会長から名誉副会長へ。副会長に朝隈善郎氏が加わった。
4月20日のボストン・マラソンで、瀬古利彦(エスビー食品)が2時間11分50秒で優勝し、海外マラソン3連勝を飾った。
第71回日本選手権は6月13、14日に東京・国立競技場で開催。女子三段跳が初めて実施され、芳谷美貴子(愛工大名電職)が12m12で勝った。男子走幅跳の臼井淳一(日本エアロビクスセンター)が8m07で8度目の優勝を果たした。
男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)が5月2日の東京選手権(国立)で84m16の日本新。5月30日の国際グランプリ(GP)、ブルース・ジェンナ一・クラシック(米カリフォルニア州サンノゼ)では84m00で日本人初の優勝を果たした。
7月8~19日に開催された第14回ユニバーシアード大会(ユーゴスラビア・ザグレブ)で、男子マラソンの泉宜広(ダイエー)が2時間24分23秒で金メダルを獲得した。村上亨史(本田技研)は2時間24分55秒で銀メダル。400mハードルの吉田良一(福井商高教)は49秒20の日本新で銅メダルを獲得した。3000m障害の愛敬重之(東洋ベアリング)も8分34秒23で3位に入った。4×100mリレー(青戸慎司、市川武志、太田裕久、不破弘樹)は39秒57で3位。女子ではマラソンで金刺貴子(三田工業)が2時間46分33秒で2位。1位とは3秒差だった。走高跳の佐藤恵(福岡大)は1m88で銅メダルを獲得した。佐藤は5月17日の九州インカレで1m95の日本新を樹立していた。
7月22~26日は第7回アジア選手権がシンガポールで開催された。男子3000m障害で音喜多正志(鐘紡)が9分04秒21で優勝したほか、400mハードルの大森重宜(日健)が50秒09、やり投の山田貴啓(東海大)が72m62でそれぞれ優勝。4×400mリレー(吉岡勇二、井部誠一、豊田佳人、早坂律夫)が3分09秒31で勝ち、金メダルは4個。女子の優勝はなかった。中国が21種目で優勝した。アジア陸連は大会前の7月20日の総会で、任期満了にともなう役員改選で安田誠克会長を再選(3期目)した。
8月26日の国際陸連(IAAF)総会(イタリア・ローマ)で日本陸連の青木半治会長が新評議員に選ばれた。日本では浅野均一氏、織田幹雄氏、安田誠克氏に続いて4人目となる。
8月29日~9月6日、第2回世界選手権大会がローマで開催された。4年後の東京大会開催が決まっている日本は男子22、女子7選手が参加した。男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)が80m24で、世界選手権の日本勢初入賞となる6位に入った。

溝口和洋 1987ローマ世界陸上 ©フォート・キシモト
跳躍は2人がファイナリストに。走幅跳の白井淳一(日本エアロビクスセンター)が8m02で予選を通過し、決勝は8m00と8mに乗せたが12位と入賞にあと一歩だった。ルイスが8m67で金メダルに輝いた。三段跳の山下訓史(日本電気)も予選を16m57で突破。だが、決勝は3回ともファウルに終わった。
男子マラソンはエスビー食品所属のダグラス・ワキウリ(ケニア)が36km過ぎに仕掛け、38kmで再びスピードを上げて2時間11分48秒で優勝した。日本勢は、西政幸(旭化成)が2時間20分51秒で22位になったのが最高。大須田祐一郎(日本電気)は26位、阿部文明(日本電気HE)は30位だった。
4×400mリレー(小中冨公一、山内健次、川角博美、高野進)は予選を3分03秒86で英国に次ぐ3組2着で通過したが、準決勝では3分04秒86の1組7着で決勝に進めなかった。4×100mリレー(松原薫、太田裕久、名倉雅弥、不破弘樹)も予選1組で39秒49の3着通過。準決勝では39秒71の1組5着で敗退した。50km競歩の園原健弘(アシックス)は21位ながら、4時間0分11秒の日本最高をマークした。
女子マラソンでは、山下美幸(住金化工)が2時間36分55秒で入賞に迫る10位。浅井えり子(日本電気HE)は2時間48分44秒で26位。初実施の10000mは荒木久美(京セラ)が33分15秒08で13位、10km競歩で平山秀子(東女体大)が49分50秒で28位だった。
世界が最も注目したのが男子100m。前回ヘルシンキ大会覇者で1984年ロサンゼルス五輪4冠のカール・ルイス(米国)と、筋骨隆々の体でスタートから周囲を圧倒する走りで連勝を続けていたベン・ジョンソン(カナダ)の対決ムードが高まり、決勝はスタートで飛び出したジョンソンが9秒83(+1.0)の驚異的な世界新で制し、2位のルイスも従来の世界記録に並ぶ9秒93を出した。だが、だが、ジョンソンは翌年のソウル五輪でアンチ・ドーピング規則違反が発覚し、五輪だけでなく今大会の成績も抹消。優勝者にはルイスが繰り上がった。
12月6日の第41回福岡国際マラソンはソウル五輪の代表3枠を懸けた代表選考会。事前に選手が「福岡一発勝負」を申し合わせていたが、瀬古利彦(エスビー食品)が左足腓骨の剥離骨折で大会12日前に欠場を発表。ピークは過ぎたとみられたものの、実績十分の瀬古の「追試」の可否を巡って世論が割れ、中山竹通(ダイエー)が「はってでも出てこい」という趣旨の発言をしたとして騒動になった。
中山は土砂降りとなったレースで序盤から飛ばして周囲を寄せ付けず、2時間8分18秒で圧勝。新宅雅也(エスビー食品)が2時間10分34秒で2位に入った。日本勢3番手は2時間11分36秒で4位の工藤一良(日産自動車)。レース後、日本陸連強化委員会は「中山、新宅までをソウル五輪代表に内定」とし、3人目は1988年2月の東京国際、3月のびわ湖毎日の結果を見て決めることになった。
ソウル五輪、マラソン中山4位、瀬古9位
100mジョンソン、衝撃のドーピング違反失格
1988(昭和63)年に入り、ソウル五輪男子マラソン代表を巡る騒動は、3月13日のびわ湖毎日マラソンで決着をみた。瀬古利彦(エスビー食品)が独走で優勝し、3人目の代表に決まった。瀬古は14度目のマラソンで10勝目。だが、25㎞以降にペースを落とし、福岡で日本勢3位の工藤よりも遅い2時間12分41秒の優勝タイムでの選出となり、選考基準があいまいだとして物議を醸すことになった。
選手、関係者、ファンの誰もが納得できる制度を求める声はその後も五輪のたびに高まり、2020年東京五輪(新型コロナウイルス感染拡大で21年に延期して開催)に向けて「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」導入へとつながっていく。
4月17日のロッテルダム・マラソン(オランダ)でベライン・デンシモ(エチオピア)が2時間6分50秒の世界最高をマークした。
第72回日本選手権は6月17日~19日に東京・国立競技場でソウル五輪代表最終選考会を兼ねて開催。昭和最後の日本選手権となった。
7月27日~31日の第2回世界ジュニア選手権(カナダ・サドバリ)に日本は男子22、女子2人が参加。男子走高跳の境田裕之(旭川北都商高)が2m19で5位に入った。
9月17日~10月2日、第24回オリンピック競技大会が韓国・ソウルで開催された。1976年モントリオール大会はアフリカ諸国、80年モスクワ大会は日米など西側諸国、84年ロサンゼルス大会はソ連などの東側諸国がボイコットしており、ソウル大会は16年ぶりに世界からアスリートが集う大会となり、史上最多の160ヵ国・地域が参加した。日本は小掛照二監督以下男子23、女子6選手が参加した。
注目の男子マラソンは小掛監督が「史上最強のトリオ」と評した中山竹通(ダイエー)、新宅永灯至(雅也)、瀬古利彦(ともにエスビー食品)で挑み、中山が2時間11分05秒で4位と今大会の日本勢ただ1人の入賞を果たした。瀬古は2時間13分41秒で9位、新宅は2時間15分42秒で17位だった。優勝はジェリンド・ボルディン(イタリア)で2時間10分32秒、日本のエスビー食品に所属するダグラス・ワキウリ(ケニア)が2時間10分47秒で銀メダルを獲得した。

中山竹通 1988ソウル五輪 ©フォート・キシモト
男子400mの高野進(東海大AC)は2次予選を45秒00(日本タイ)の4組2着で通過し、準決勝1組では日本人初の44秒台突入となる44秒90の日本新をマークした。5着で決勝進出はならなかったが、存在感を示した。
男子100mは大会最大の注目を集め、衝撃的な結末を迎えた。ベン・ジョンソン(カナダ)とロサンゼルス五輪4冠のカール・ルイス(米国)が激突。決勝はジョンソンがスタートから圧倒し、9秒79(+1.0)の驚異的な世界新で1着となり、ルイスは9秒92で2着だった。だが、レース後のドーピング検査で禁止されている筋肉増強剤スタノゾロールが検出され、27日に金メダル剥奪が決まった。国際陸連(IAAF)は記録を抹消、2着以下の順位を繰り上げ、ルイスが金メダルとなった。ジョンソンは2年間の資格停止となり、翌年9月に開かれた国際陸連(IAAF)総会でローマ世界選手権の記録も抹消。ソウル五輪でルイスがマークした9秒92が世界記録として公認された。
4×100mリレー準決勝で日本(青戸慎司、山内健次、栗原浩司、高野)は38秒90の日本新をマークしたが、1組5着で決勝に進めなかった。4×400mリレー準決勝の日本(小池弘文、山内、川角博美、高野)も3分03秒80の2組6着で落選した。
10000mは阿久津浩三(福島病院)と米重修一(旭化成)が決勝に進み、阿久津は28分09秒70で14位、米重は29分04秒44で17位。5000mの米重は予選で13分59秒68の2組11着で決勝に進めなかった。
三段跳で山下訓史(日本電気)は予選を16m29で通過したが、決勝では1回目の15m62が最高で12位。メダルの期待もあった男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は予選で77m46にとどまり、76m90の吉田雅美(大京)とともに予選敗退した。
女子では、走高跳の佐藤恵(福岡大)が奮闘。予選で通過ラインの1m92まで1回でクリアした。決勝でも1m90を3回目に成功させ、1m93も3回目に惜しい跳躍。だが、惜しくも失敗となり、入賞にあと一歩の11位だった。10000mは、2組の松野明美(ニコニコドー)が9着で上位8着までの決勝進出には届かなかったが、32分19秒57の日本新をマークする健闘だった。
女子マラソンは浅井えり子(日本電気HE)が2時間34分41秒で24位、荒木久美(京セラ)は2時間35分15秒で28位、宮原美佐子(旭化成)は2時間35分26秒で29位だった。
10月8日、第1回東芝スーパー陸上が東京・国立競技場で始まった。雨が降り続き、棒高跳が中止。100mの女子はフローレンス・グリフィス・ジョイナーが10秒91、男子はカール・ルイス(ともに米国)が10秒09で圧勝。男子やり投はヤン・ゼレズニー(チェコスロバキア)が84m76で制し、溝口和洋(ゴールドウイン)は79m56で2位だった。
10月28日、織田幹雄名誉副会長が文化功労者に決定、発表。会長を務めた故平沼亮三氏に次いで陸上界2人目。
11月23日には全日本ジュニアクロスカントリーリレー(千葉)が始まった。
12月18日には国際千葉駅伝(千葉県総合運動場陸上競技場発着、42.195km)が始まり、男子はエチオピア、女子はニュージーランドが優勝した。日本の男子は3位。アンカーで12.195kmを力走した瀬古利彦(エスビー食品)は、このレースを最後に引退した。
溝口がGP3勝、ファイナル2位
1989年1月7日に天皇陛下が崩御。昭和が終わり、平成に改元された。
2月11日のよみうりチトセ国際室内(大阪城ホール)で男子棒高跳のセルゲイ・ブブカ(ソ連)が6m03の室内世界新記録を樹立した。
3月3日~5日に第2回室内世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)開催。男子400mで前年に46秒37の高校新記録をマークした渡辺高博(新居浜東高・愛媛)が、予選落ちながら47秒97の室内日本新をマークした。
4月1日、名誉副会長の織田幹雄氏が名誉会長に。青木半治会長は日本体協会長に就任した。
4月15日の第3回ワールドカップ・マラソン(ミラノ)の女子で、2時間29分37秒の日本最高記録を持つ宮原美佐子(旭化成)が2位に健闘。4月30日のパリ・マラソンでは女子の小島和恵(川鉄千葉)が2時間29分23秒の日本最高で、日本女子初の海外主要マラソン優勝を果たした。
5月27日に米カリフォルニア州サンノゼで行われた国際グランプリ(GP)第1戦、ブルース・ジェンナー・クラシックの男子やり投で、溝口和洋(ゴールドウイン)が87m60の日本新記録を樹立し、GP通算2勝目を挙げた。この記録はこの年の世界ランキング1位。当初は世界記録(87m66)を2cm上回る87m68と発表されたが、不可解な再計測の末、世界歴代2位の87m60と修正された。
溝口は7月14日のロンドンGPは85m02で優勝するなど、この年GP3勝。9月1日のGPファイナル(モナコ)では83m06で2位となった。
第73回日本選手権は6月17日~18日に東京・国立競技場で行われ、各種目で平成最初のチャンピオンが決まった。男子砲丸投の岡野雄司(日大)が17m63の日本新で初優勝。女子三段跳は磯貝美奈子(ナイキジャパン)が12m60の日本新をマークした。男子十種競技は松田克彦(順大ク)が7607点の日本新で2連覇。男子100mでは、青戸慎司(中京大)が10秒28の日本タイで初優勝した。この年から女子マラソンが日本選手権に加わり、11月19日の東京国際女子マラソンが日本選手権を兼ねて実施された。
8月22日~30日に第15回ユニバーシアード大会(ドイツ・デュイスブルク)が開催され、女子マラソンの高山明美(福岡大)が2時間39分58秒で、女子10000mの石坂雅美(東農短大)が32分16秒24で、ともに銀メダルを獲得した。男子200mでは奥山義行(日大)がこの種目の日本選手初の決勝へ進出し、20秒85(+3.4)で7位になった。
8月28日、国際オリンピック委員会(IOC)がプエルトリコ・サンファンで開いた理事会で、五輪運動の功労者に対して贈るオリンピックオーダー(五輪功労章)の銀章受章者に西田修平氏を選んだ。
9月10日の地域別対抗戦、第5回ワールドカップ(スペイン・バルセロナ)では男子やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)が82m56で2位に入った。
9月16日、第2回TOTOスーパー陸上(国立)開催。棒高跳のロディオン・ガタウリン(ソ連)が6m00をクリアし、屋外ではセルゲイ・ブブカ(ソ連)に次いで2人目の6mジャンパーとなった。やり投の溝口和洋(ゴールドウイン)は81m30で3位。
11月14~19日に第8回アジア選手権(インド・ニューデリー)が開催された。ベストメンバーではない編成で臨んだ日本だが、男子の200mで奥山義行 (日大)が20秒80の自己タイをマークして優勝、20km競歩で酒井浩文(飯田広域消防署)が1時間33分41秒で、4×400mリレー(村田勇、松永成旦、井部誠一、館義和)で3分07秒20で制した。金メダルはこの3個。翌年に北京アジア競技大会を控える中国は、22個の金メダルを量産した。
北京アジア大会で金メダル7、地元・中国29種目でV
1990年(平成2年)2月25日に横浜国際女子駅伝が行われ、日本チームが2時間16分31秒で初優勝した。
第74回日本選手権は6月9~10日に千葉県総合運動場陸上競技場で開催された。
8月8~12日の第3回世界ジュニア選手権(ブルガリア・プロブジブ)に男子22、女子4人が参加。男子400mハードルで斎藤嘉彦(法大)が49秒99、女子10000mの太田利香(ワコール)が33分06秒85でともに銀メダルを獲得した。女子3000mでは松本初美(ワコール)が9分11秒92で3位になった。
9月15日に第3回TOTOスーパー陸上が静岡市の草薙陸上競技場で開催。男子やり投は溝口和洋(ゴールドウイン)が82m06で優勝。110mハードルで5位の岩崎利彦(富士通)が13秒82の日本新をマークした。
東京で国際オリンピック委員会(IOC)総会が開かれ、9月18日に1996年の第26回オリンピック開催都市に米国ジョージア州アトランタに決めた。19日には新五輪憲章を採択。プロ選手、コーチの五輪出場を禁止している条項を削除するなど、実態に対応した内容になった。20日にはオリンピックオーダー(五輪功労章)の銀章受章者として田島直人氏を選出した。
9月22日~10月7日に第11回アジア競技大会が中国・北京で開催された。陸上は9月27日~10月3日に行われ、日本は大串啓二監督以下、男子36、女子23選手が参加。37の国・地域が参加した。日本は男子6、女子1の7種目で優勝。中国は43種目中29種目で金メダルを獲得し、自国開催を大いに盛り上げた。
男子200mでは高野進(東海大教)が序盤から積極的な走り。コーナーの出口で身体一つリードし、20秒94(-1.6)でこの種目の日本勢初の金メダルに輝いた。長距離では、森下広一(旭化成)は10000mでは9300mから勝負をかけて28分47秒96で金メダル、5000mは13分50秒23で銀メダルを得た。3000m障害は山田和人(日産自動車)が8分34秒64で制し、日本勢の連勝を7に伸ばした。
十種競技は金子宗弘(順大)が7799点で1位。父・宗平は第4回大会の円盤投で3位に入っており、父子でのメダル獲得となった。やり投は吉田雅美(大京)が77m26で優勝し、2連覇を狙った溝口和洋(ゴールドウイン)は75m84で3位。この種目の日本の連勝は3に伸びた。
4×400mリレーはエース・高野抜きのオーダーで臨んだ日本(小中冨公一、岩佐克俊、望月勇志、渡辺高博)が3分05秒82で金メダル。マラソンは清水悟(鐘紡)が2時間14分46秒で2位を占めた。清水は、8月に合宿先の北海道で交通事故死した谷口伴之選手(エスビー食品)の代役での出場だった。この事故では5000m、10000mに出場予定だった金井豊選手も亡くなった。
20km競歩では酒井浩文(国士大)が1時間23分17秒の日本最高で2位。優勝者とは1秒差だった。
女子では走高跳の佐藤恵(福岡県教委)が1m94の大会新で2連覇した。この高さを1回でクリアし、自らの日本記録を1cm上回る1m96にバーを上げたが失敗した。
女子マラソンは荒木久美(京セラ)が35㎞過ぎでトップに立ったが逃げ切れず、優勝した趙友鳳(中国)に15秒差の2時間35分34秒で2位。10000mは松野明美(ニコニコドー)が自身の日本記録(31分54秒0、1989年)に迫る31分56秒93の力走で3位に健闘した。3000mでは村中真保美(九州NEC)が5位ながら9分02秒04の日本新をマークした。
クウェートに侵攻したイラクが開幕直前に締め出され、一方のクウェートは規模を縮小して出場した。台湾が主張していた「中華台北」の呼称を中国が認めたため、台湾が20年ぶりに出場した。
9月30日の第17回ベルリン・マラソンは、東西ドイツ統一に伴い、初めて東西ベルリン市街で開かれた。スティーブ・モネゲッティ(豪州)が2時間8分16秒で優勝した。
1991年(平成3年)3月8~10日には第3回世界室内選手権(セビリア)が開催された。
記事提供:月刊陸上競技


