日本陸上競技連盟史
1998年度
1998年度
平成10年4月~平成11年3月
男子砲丸投で日本人初の18m台
50km競歩では初の3時間50分突破
1998年度は4月12日の2つの大会で、それぞれ節目の記録が生まれてスタートした。
神奈川県平塚市の東海大グラウンドで行われた第15回日大・東海大対校戦。男子砲丸投で野口安忠(日大)が、日本人初の18m台となる18m31を投げ、野澤具隆(ゼンリン)が1996年10月に作った17m91の日本記録を大きく破った。6回の試技中、野澤の記録を4回上回り、18m台も2回。圧巻のシリーズだった。3週間後の5月3日、福岡市・博多の森競技場で行われた第52回福岡県選手権でさらに記録を伸ばして、18m53。ファウルでは19mライン近くに投げて、地元関係者を驚かせた。
野口が大台突入を果たしたのと同じ4月12日には、第82回日本選手権50km競歩が石川県輪島市の日本陸連公認コースで午前8時にスタートし、31歳の今村文男(富士通)が6km地点で飛び出すと、あとは一人旅。日本人初の3時間40分台突入となる3時間49分38秒の日本最高記録で優勝を飾った。今村は2月22日のスペイン選手権で、自身がアテネ五輪で出した3時間50分27秒の日本最高を上回る3時間50分09秒を出していた。1991年6月のワールドカップ競歩で日本人初の3時間台をマークしたのも今村だった。
室伏広治がついに父の記録超え、14年ぶりの日本新
春季サーキット第1戦の群馬リレーカーニバルは4月25~26日、前橋市の敷島公園県営陸上競技場で行われた。雨にたたられた2日目、男子ハンマー投で室伏広治(ミズノ)が2投目に76m65のビッグスロー。父でコーチの室伏重信氏が持つ75m96の日本記録を14年ぶりに破った。広治の昨シーズンのベストは75m72で、父の記録に24cm届かなかったが、日本新樹立の機は熟していた。父が38歳で作った記録を、息子は23歳で超えたことになる。52歳になった父は「自分が記録を出した時よりうれしい」と相好を崩し、息子は「目標にしていた記録なので大変うれしいです。気が引き締まった気がします」と、照れながら父と握手を交わした。
同大会の女子棒高跳では、小野真澄(CFA)が中野真実(東学大)の持つ記録を1cm上回る3m81の日本新。小野は5月9日の国際グランプリ・シリーズ第2戦大阪大会で3m85に日本記録を引き上げると、その後も3m91、3m92、3m95と記録を伸ばしていき、12月のバンコク・アジア大会でついに4m00を征服した。
4月29日に広島市の広島県総合グラウンド(広島スタジアム)で行われた春季サーキット第3戦の第32回織田記念では、女子三段跳で好記録が誕生した。まず4回目に花岡麻帆(順大)が、西内誠子(高知女子ク)の持つ日本記録と並ぶ13m35(+2.0)の日本タイ。すると、記録を破られた西内が5回目に13m40(+1.3)を跳び、再び単独の日本記録保持者に。結局、この試合は3位までを占めた海外勢に続き西内が4位、花岡が5位となった。
だが、花岡は5月15~17日に横浜国際総合競技場で行われた第77回関東学生対校選手権(関東インカレ)で13m69(+1.0)をマークし、西内の記録を破っている。
17年ぶりに日本でアジア選手権開催
第12回アジア選手権が7月19~22日、福岡市・博多の森陸上競技場で開催された。日本で行われるのは、第4回大会以来17年ぶり。中国が26個の金メダルを獲得し、日本は前回のジャカルタ大会から倍増の6個。日本新記録は女子で2つ誕生した。
日本の金メダル第1号は女子走高跳の今井美希(中京女大AC)で、日本歴代2位に入る1m94をクリアした。7月5日の南部記念女子200mで23秒76を出していた新井初佳(ピップフジモト)は、23秒67(+1.7)で5位。北田敏恵(大体大T&F)が1996年に作った23秒73の日本記録を、100分の6秒更新した。
女子400mハードルでは、佐々木美佳(ワコール)が57秒34で4位。山形依希子(敦賀高・福井)が1992年に作った57秒65の日本記録を6年ぶりに破った。
8月は海外から2つ「日本新」の報が届いた。8月1日にベルギー・ヘクテルで行われたナイト・オブ・アスレティックスの男子5000mで、高岡寿成(鐘紡)が13分13秒40のアジア新・日本新(5位)。自身が龍谷大時代に出した13分20秒43(1992年/スウェーデン・ストックホルム、DNガラン)の日本記録を、一気に7秒余更新した。
8月5日にスウェーデン・ストックホルムで開かれたDNガランの女子5000mでは、弘山晴美(資生堂)が15分03秒67の日本新で5位。昨年6月、英国・シェフィールドの大会で自らが作った15分07秒75の日本記録を、4秒余更新した。
熊本開催の日本選手権で伊東浩司が20秒16のアジア新
12月に開かれるバンコク・アジア大会と来年のセビリア世界選手権の代表選手選考会を兼ねた第82回日本選手権が、9月30日から10月4日までの5日間、新装なった熊本市の県民総合運動公園陸上競技場で行われた。
3日目の男子200m予選で大記録が誕生。伊東浩司(富士通)が20秒16(+1.9)のアジア新・日本新でトラックを駆け抜け、スタンドは大いに盛り上がった。伊東は2年前の日本選手権(大阪・長居)でも予選で20秒29の日本新を出し、今回はそれを0秒13更新した。
200mは準決勝で棄権した伊東だったが、朝原宣治(大阪ガス)が脚の故障で欠場した100mは3本走って優勝。準決勝で10秒10(+1.4)の大会新をマークすると、3時間45分後の決勝では10秒08(+1.5)。朝原が昨年ローザンヌで出した記録に並ぶ、アジア・タイ記録だった。
男子ハンマー投では、室伏広治(ミズノ)が今季2度目の日本新。春の群馬リレーカーニバルで出した記録を2cm更新する76m67で優勝した。
室伏はその後も大会で投げるたびに記録を伸ばした。10月10日の中部実業団・東海学生対抗で76m72、77m35。10月25日の第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体/横浜)では78m41。そして、12月13日のバンコク・アジア大会では、78m57で金メダルを獲得している。
日本選手権終了後の10月6日、日本陸連は第13回アジア大会の日本代表64人(すでに決定済みの男女マラソン4人を含む)を発表した。
バンコク・アジア大会はメダル・ラッシュ
高橋尚子が驚異的日本新、伊東は10秒00のアジア新
第13回アジア大会は12月に、タイ・バンコクのタマサート大学メインスタジアムで開催された。陸上競技は12月6日の女子マラソンで開幕。間を置いて12月13日に再開され、12月20日の男子マラソンで最終日を迎えた。日本は金12、銀4、銅8のメダル・ラッシュで、3大会ぶりのふたケタに。その口火を切ったのが、女子マラソンの高橋尚子(積水化学)だった。
10人の参加で、午前6時30分にスタート。直後に飛び出した高橋は、世界最高を上回るペースで35km地点まで飛ばした。終盤でペースダウンしたものの、2時間21分47秒の驚異的な日本最高記録を樹立。自らが今年3月の名古屋国際女子マラソンで出した2時間25分48秒を、一気に4分01秒も更新するだけでなく、1993年に王軍霞(中国)が作った2時間24分07秒のアジア最高記録も大幅に塗り替えた。世界歴代では5位にランクイン。スタート時に25.5度だった気温は32度まで達する酷暑の条件下で、驚くような快挙をやってのけた。
伊東浩司(富士通)は、日本男子初となる100m、200m、4×100mリレーの短距離3冠を獲得し、アジア大会全体のMVP(最優秀選手)に選出された。伊東は「私の陸上人生で最高の思い出になります」と、笑顔で表彰式に臨んだ。
100mは予選から10秒0台を3本並べ、決勝は10秒05(+1.6)だったが、準決勝では10秒00(+1.9)のアジア新・日本新。フィニッシュ・タイマーは最初に「9.99」で止まり、「日本人初の9秒台誕生か?」と日本チームは騒然となった。伊東はレース後、「最後は流しました。余力もありました。流さなければ良かったと思いますが、決勝に向けて力は温存できました。何よりも金メダルを狙っています。記録は考えていません」と話した。日本人が100mで金メダルを取るのは、第6回バンコク大会の神野正英(日大)以来、28年ぶり2度目。200mの優勝記録20秒25(-0.4)、4×100mリレーの38秒91は、いずれも大会新記録だった。
78m57と今季5度目の日本新で金メダルを獲得した男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)は、バルセロナ五輪(1992年)金メダリストのアンドレイ・アブドゥワリィェフ(ウズベキスタン)に快勝。父の室伏重信氏は第6回大会(1970年)から第10回大会(1986年)まで5連覇。最初に優勝したのが、同じバンコクだった。室伏は「自分がどこまで伸びるかわからないが、父と一緒に世界へ近づいていければ。目標は世界チャンピオンです」と話した。
女子棒高跳の小野真澄(CFA)は4m00と、日本人初の大台クリアで銀メダル。女子200mでは、新井初佳(ピップフジモト)が予選で23秒54(+1.9)と、今季2度目の日本新。決勝は23秒58(+0.1)で6位だった。女子10000m競歩は、三森理恵(ヤマハ発動機販売)が44分29秒82の日本新で銀メダルを取ったが、姉の三森由佳(綜合警備保障)は4000m付近で失格となった。
「織田幹雄さんとのお別れ会」開かれる
1928年のアムステルダム五輪男子三段跳で優勝し、日本の金メダリスト第1号に輝いた「陸上の神様」織田幹雄氏が12月2日、93歳で天寿を全う。12月26日に東京・国立競技場で、日本陸連主催の「織田幹雄さんとのお別れ会」が開かれた。
実行委員長は日本陸連の青木半治会長で、年の瀬にも関わらずおよそ800人が列席して故人の冥福を祈った。アムステルダム五輪の優勝記録「15m21」の高さで国立競技場内に設置された「織田ポール」には日本陸連の半旗が掲げられ、トラック上に置かれた献花台は15m21cmに特注された。
日本選手権競歩に女子20kmを採用
第82回日本選手権20km競歩が1999年1月31日、神戸市の六甲アイランド内周回公認コースで行われた。今回から女子20kmが採用され、三森由佳(綜合警備保障)が1時間33分08秒の日本最高をマークした。
女子棒高跳の小野真澄(CFA)は冬季になっても快進撃を続け、2月6日に台湾で行われた棒高跳国際競技会で、7度目の日本新(屋外)となる4m11を跳んで優勝した。また、‘99日中対抗室内の第2戦となる横浜大会(2月27日)では、4m15の室内日本新で優勝している。
第7回世界室内選手権は3月5~7日、群馬県前橋市のグリーンドームで開かれ、123ヵ国・地域から527人が参加した。伊東浩司(富士通)が男子200mで予選20秒76、準決勝20秒63と、立て続けに室内日本新をマーク。この種目で日本選手として初めて決勝に進出し、5位入賞を果たした。
また、男子走幅跳の森長正樹(ゴールドウイン)は、8m07の室内日本新で7位に入った。世界室内では、日本フィールド陣初のベスト8入り。この他5種目で室内日本新が誕生した。
記事提供:月刊陸上競技
平成10年4月~平成11年3月
男子砲丸投で日本人初の18m台
50km競歩では初の3時間50分突破
1998年度は4月12日の2つの大会で、それぞれ節目の記録が生まれてスタートした。
神奈川県平塚市の東海大グラウンドで行われた第15回日大・東海大対校戦。男子砲丸投で野口安忠(日大)が、日本人初の18m台となる18m31を投げ、野澤具隆(ゼンリン)が1996年10月に作った17m91の日本記録を大きく破った。6回の試技中、野澤の記録を4回上回り、18m台も2回。圧巻のシリーズだった。3週間後の5月3日、福岡市・博多の森競技場で行われた第52回福岡県選手権でさらに記録を伸ばして、18m53。ファウルでは19mライン近くに投げて、地元関係者を驚かせた。
野口が大台突入を果たしたのと同じ4月12日には、第82回日本選手権50km競歩が石川県輪島市の日本陸連公認コースで午前8時にスタートし、31歳の今村文男(富士通)が6km地点で飛び出すと、あとは一人旅。日本人初の3時間40分台突入となる3時間49分38秒の日本最高記録で優勝を飾った。今村は2月22日のスペイン選手権で、自身がアテネ五輪で出した3時間50分27秒の日本最高を上回る3時間50分09秒を出していた。1991年6月のワールドカップ競歩で日本人初の3時間台をマークしたのも今村だった。
室伏広治がついに父の記録超え、14年ぶりの日本新
春季サーキット第1戦の群馬リレーカーニバルは4月25~26日、前橋市の敷島公園県営陸上競技場で行われた。雨にたたられた2日目、男子ハンマー投で室伏広治(ミズノ)が2投目に76m65のビッグスロー。父でコーチの室伏重信氏が持つ75m96の日本記録を14年ぶりに破った。広治の昨シーズンのベストは75m72で、父の記録に24cm届かなかったが、日本新樹立の機は熟していた。父が38歳で作った記録を、息子は23歳で超えたことになる。52歳になった父は「自分が記録を出した時よりうれしい」と相好を崩し、息子は「目標にしていた記録なので大変うれしいです。気が引き締まった気がします」と、照れながら父と握手を交わした。
同大会の女子棒高跳では、小野真澄(CFA)が中野真実(東学大)の持つ記録を1cm上回る3m81の日本新。小野は5月9日の国際グランプリ・シリーズ第2戦大阪大会で3m85に日本記録を引き上げると、その後も3m91、3m92、3m95と記録を伸ばしていき、12月のバンコク・アジア大会でついに4m00を征服した。
4月29日に広島市の広島県総合グラウンド(広島スタジアム)で行われた春季サーキット第3戦の第32回織田記念では、女子三段跳で好記録が誕生した。まず4回目に花岡麻帆(順大)が、西内誠子(高知女子ク)の持つ日本記録と並ぶ13m35(+2.0)の日本タイ。すると、記録を破られた西内が5回目に13m40(+1.3)を跳び、再び単独の日本記録保持者に。結局、この試合は3位までを占めた海外勢に続き西内が4位、花岡が5位となった。
だが、花岡は5月15~17日に横浜国際総合競技場で行われた第77回関東学生対校選手権(関東インカレ)で13m69(+1.0)をマークし、西内の記録を破っている。
17年ぶりに日本でアジア選手権開催
第12回アジア選手権が7月19~22日、福岡市・博多の森陸上競技場で開催された。日本で行われるのは、第4回大会以来17年ぶり。中国が26個の金メダルを獲得し、日本は前回のジャカルタ大会から倍増の6個。日本新記録は女子で2つ誕生した。
日本の金メダル第1号は女子走高跳の今井美希(中京女大AC)で、日本歴代2位に入る1m94をクリアした。7月5日の南部記念女子200mで23秒76を出していた新井初佳(ピップフジモト)は、23秒67(+1.7)で5位。北田敏恵(大体大T&F)が1996年に作った23秒73の日本記録を、100分の6秒更新した。
女子400mハードルでは、佐々木美佳(ワコール)が57秒34で4位。山形依希子(敦賀高・福井)が1992年に作った57秒65の日本記録を6年ぶりに破った。
8月は海外から2つ「日本新」の報が届いた。8月1日にベルギー・ヘクテルで行われたナイト・オブ・アスレティックスの男子5000mで、高岡寿成(鐘紡)が13分13秒40のアジア新・日本新(5位)。自身が龍谷大時代に出した13分20秒43(1992年/スウェーデン・ストックホルム、DNガラン)の日本記録を、一気に7秒余更新した。
8月5日にスウェーデン・ストックホルムで開かれたDNガランの女子5000mでは、弘山晴美(資生堂)が15分03秒67の日本新で5位。昨年6月、英国・シェフィールドの大会で自らが作った15分07秒75の日本記録を、4秒余更新した。
熊本開催の日本選手権で伊東浩司が20秒16のアジア新
12月に開かれるバンコク・アジア大会と来年のセビリア世界選手権の代表選手選考会を兼ねた第82回日本選手権が、9月30日から10月4日までの5日間、新装なった熊本市の県民総合運動公園陸上競技場で行われた。
3日目の男子200m予選で大記録が誕生。伊東浩司(富士通)が20秒16(+1.9)のアジア新・日本新でトラックを駆け抜け、スタンドは大いに盛り上がった。伊東は2年前の日本選手権(大阪・長居)でも予選で20秒29の日本新を出し、今回はそれを0秒13更新した。
200mは準決勝で棄権した伊東だったが、朝原宣治(大阪ガス)が脚の故障で欠場した100mは3本走って優勝。準決勝で10秒10(+1.4)の大会新をマークすると、3時間45分後の決勝では10秒08(+1.5)。朝原が昨年ローザンヌで出した記録に並ぶ、アジア・タイ記録だった。
男子ハンマー投では、室伏広治(ミズノ)が今季2度目の日本新。春の群馬リレーカーニバルで出した記録を2cm更新する76m67で優勝した。
室伏はその後も大会で投げるたびに記録を伸ばした。10月10日の中部実業団・東海学生対抗で76m72、77m35。10月25日の第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体/横浜)では78m41。そして、12月13日のバンコク・アジア大会では、78m57で金メダルを獲得している。
日本選手権終了後の10月6日、日本陸連は第13回アジア大会の日本代表64人(すでに決定済みの男女マラソン4人を含む)を発表した。
バンコク・アジア大会はメダル・ラッシュ
高橋尚子が驚異的日本新、伊東は10秒00のアジア新
第13回アジア大会は12月に、タイ・バンコクのタマサート大学メインスタジアムで開催された。陸上競技は12月6日の女子マラソンで開幕。間を置いて12月13日に再開され、12月20日の男子マラソンで最終日を迎えた。日本は金12、銀4、銅8のメダル・ラッシュで、3大会ぶりのふたケタに。その口火を切ったのが、女子マラソンの高橋尚子(積水化学)だった。
10人の参加で、午前6時30分にスタート。直後に飛び出した高橋は、世界最高を上回るペースで35km地点まで飛ばした。終盤でペースダウンしたものの、2時間21分47秒の驚異的な日本最高記録を樹立。自らが今年3月の名古屋国際女子マラソンで出した2時間25分48秒を、一気に4分01秒も更新するだけでなく、1993年に王軍霞(中国)が作った2時間24分07秒のアジア最高記録も大幅に塗り替えた。世界歴代では5位にランクイン。スタート時に25.5度だった気温は32度まで達する酷暑の条件下で、驚くような快挙をやってのけた。

高橋尚子 ©フォート・キシモト
伊東浩司(富士通)は、日本男子初となる100m、200m、4×100mリレーの短距離3冠を獲得し、アジア大会全体のMVP(最優秀選手)に選出された。伊東は「私の陸上人生で最高の思い出になります」と、笑顔で表彰式に臨んだ。
100mは予選から10秒0台を3本並べ、決勝は10秒05(+1.6)だったが、準決勝では10秒00(+1.9)のアジア新・日本新。フィニッシュ・タイマーは最初に「9.99」で止まり、「日本人初の9秒台誕生か?」と日本チームは騒然となった。伊東はレース後、「最後は流しました。余力もありました。流さなければ良かったと思いますが、決勝に向けて力は温存できました。何よりも金メダルを狙っています。記録は考えていません」と話した。日本人が100mで金メダルを取るのは、第6回バンコク大会の神野正英(日大)以来、28年ぶり2度目。200mの優勝記録20秒25(-0.4)、4×100mリレーの38秒91は、いずれも大会新記録だった。

伊東浩司 ©フォート・キシモト
78m57と今季5度目の日本新で金メダルを獲得した男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)は、バルセロナ五輪(1992年)金メダリストのアンドレイ・アブドゥワリィェフ(ウズベキスタン)に快勝。父の室伏重信氏は第6回大会(1970年)から第10回大会(1986年)まで5連覇。最初に優勝したのが、同じバンコクだった。室伏は「自分がどこまで伸びるかわからないが、父と一緒に世界へ近づいていければ。目標は世界チャンピオンです」と話した。
女子棒高跳の小野真澄(CFA)は4m00と、日本人初の大台クリアで銀メダル。女子200mでは、新井初佳(ピップフジモト)が予選で23秒54(+1.9)と、今季2度目の日本新。決勝は23秒58(+0.1)で6位だった。女子10000m競歩は、三森理恵(ヤマハ発動機販売)が44分29秒82の日本新で銀メダルを取ったが、姉の三森由佳(綜合警備保障)は4000m付近で失格となった。
「織田幹雄さんとのお別れ会」開かれる
1928年のアムステルダム五輪男子三段跳で優勝し、日本の金メダリスト第1号に輝いた「陸上の神様」織田幹雄氏が12月2日、93歳で天寿を全う。12月26日に東京・国立競技場で、日本陸連主催の「織田幹雄さんとのお別れ会」が開かれた。
実行委員長は日本陸連の青木半治会長で、年の瀬にも関わらずおよそ800人が列席して故人の冥福を祈った。アムステルダム五輪の優勝記録「15m21」の高さで国立競技場内に設置された「織田ポール」には日本陸連の半旗が掲げられ、トラック上に置かれた献花台は15m21cmに特注された。
日本選手権競歩に女子20kmを採用
第82回日本選手権20km競歩が1999年1月31日、神戸市の六甲アイランド内周回公認コースで行われた。今回から女子20kmが採用され、三森由佳(綜合警備保障)が1時間33分08秒の日本最高をマークした。
女子棒高跳の小野真澄(CFA)は冬季になっても快進撃を続け、2月6日に台湾で行われた棒高跳国際競技会で、7度目の日本新(屋外)となる4m11を跳んで優勝した。また、‘99日中対抗室内の第2戦となる横浜大会(2月27日)では、4m15の室内日本新で優勝している。
第7回世界室内選手権は3月5~7日、群馬県前橋市のグリーンドームで開かれ、123ヵ国・地域から527人が参加した。伊東浩司(富士通)が男子200mで予選20秒76、準決勝20秒63と、立て続けに室内日本新をマーク。この種目で日本選手として初めて決勝に進出し、5位入賞を果たした。
また、男子走幅跳の森長正樹(ゴールドウイン)は、8m07の室内日本新で7位に入った。世界室内では、日本フィールド陣初のベスト8入り。この他5種目で室内日本新が誕生した。
記事提供:月刊陸上競技


