日本陸上競技連盟史
2000年度
2000年度
平成12年4月~平成13年3月
シドニー五輪で高橋尚子が日本女子初の金メダル
20世紀最後の年で、「ミレニアム五輪」と名付けられた第27回夏季オリンピック・シドニー大会が2000年9月15日に開幕。オーストラリアでは1956年にメルボルン大会が開かれており、オリンピックの南半球開催はそれ以来2度目になる。陸上競技は9月22日から10月1日まで、男女46種目に熱戦を展開した。前回のアトランタ五輪より7人多い40人(男子28、女子12)の代表を送り込んだ日本は、櫻井孝次監督(シドニー五輪強化特別委員長)が「メダル2、入賞5」の目標を掲げたが、メダル1、入賞3という結果に。だが、ただ1つのメダルが金。64年ぶりの快挙に、日本中が沸いた。
9月24日に行われた女子マラソンには、前年のセビリア世界選手権を脚の故障で欠場した高橋尚子(積水化学)が出場。その時と同様に米国・ボルダーで高地トレーニングを積んで、そのままシドニー入り。「3500mの超高地で心肺機能を強化した」というトレーニングは順調で、今度は元気にスタートラインに立った。
27kmから高橋とリディア・シモン(ルーマニア)の一騎打ちになったレースは、35km手前で高橋がサングラスを投げてスパート。40kmで28秒あったシモンとの差は、フィニッシュで8秒に縮まったが、高橋が逃げ切った。2時間23分14秒の五輪新で、1936年のベルリン五輪男子マラソンで孫基禎が取って以来64年ぶりの金メダル獲得。陸上競技の女子では初の快挙となった。
レース後、高橋は「苦しかったのはラスト3kmぐらいで、あとはレースを楽しみながら『うれしい』と心の中で叫んでいました」と話し、次の目標として世界記録挑戦を明言。帰国後は日本中で〝高橋フィーバー〟が起こり、10月30日には首相官邸で森喜朗首相から国民栄誉賞が授与された。
女子マラソンでは、山口衛里(天満屋)も7位入賞を果たした。
男子長距離の高岡は10000mで7位入賞
5000mは64年ぶりに決勝へ進出
シドニー五輪の「64年ぶり」がもう1つ。1936年のベルリン五輪では、村社講平(中大)が男子5000m、10000mの長距離2種目で4位に入賞しているが、シドニー大会では高岡寿成(鐘紡)が先に行われた男子10000mで7位入賞(27分40秒44の日本歴代2位)を果たした。その後の5000mも予選を突破。決勝は15位にとどまったが、長距離2種目で決勝レースを走るのは、村社以来64年ぶりの快挙だった。
また、男子4×100mリレーでは、2大会ぶりの入賞となる6位(38秒66)。川畑伸吾(法大)、伊東浩司(富士通)、末續慎吾(東海大)、朝原宣治(大阪ガス)のオーダーで臨んだ準決勝では、38秒31の日本タイ記録をマークした。決勝は、故障の川畑に代えて、小島茂之(早大)を1走に起用した。
シドニー行き目指して春季サーキット活況
シドニー五輪の代表入りを目指して、2000年の春季サーキットは各地で好記録が相次いだ。
4月22~23日に群馬県前橋市の敷島公園陸上競技場で行われた第1戦の群馬リレーカーニバルでは、19歳の森千夏(国士大)が女子砲丸投で16m43の日本新。1993年に鈴木文(スポーツプラザ丸長)が出した16m22を、7年ぶりに21cm更新した。
第3戦の第34回織田記念は4月29日、広島市の広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で行われた。男子棒高跳で横山学(百十四銀行)が自己の持つ日本記録を7cm上回る5m70をクリア。3度目のシドニー五輪参加A標準記録(5m60)突破となった。
5月3日に静岡市の草薙総合運動公園陸上競技場で行われた第16回静岡国際。強い風が吹いたこの日、男子走幅跳では追い風参考記録ながら、日本選手4人が8mを突破した。森長正樹(ゴールドウイン)は、自らの持つ日本記録8m25を上回る8m34(+3.0)のビッグジャンプを披露。また、男子400mハードルでは、為末大(法大)が4年ぶりの自己新となる49秒01で、先輩の苅部俊二(富士通)を抑えた。
最終戦の水戸国際は5月7日、茨城県の水戸市立競技場で行われた。女子走幅跳の花岡麻帆(三英社)が6回目に6m61(+2.0)の日本タイ。高松仁美が米国・ジョージメイソン大に留学中の1995年に出した日本記録と並び、シドニー五輪参加A標準記録にあと4cmと迫った。男子400mの山村貴彦(日大)は群馬、広島に続き春季サーキット3連勝。自身初の45秒台となる45秒81を出したものの、シドニー五輪参加A標準記録に100分の1秒届かなかった。
ハンマー投の室伏広治が初の80m突破
国際グランプリ大阪大会が5月13日、大阪市の長居陸上競技場で開催された。男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)が、2投目に自らの持つ日本記録を3cm上回る79m20の日本新。3投目には初の80mライン突破となる80m23を投げ、海外の強豪を抑えて優勝した。日本人で初めて70m台に乗せたのが父の室伏重信氏で、1971年4月のこと。それから29年を経て、息子が80m突破を果たした。
米国で女子10000mと100mHの日本新
6月末から7月にかけて、海外から日本新の報が入ってきた。6月24日に米国・サンディエゴで行われた国際競技会の女子100mハードルで、金沢イボンヌ(佐田建設)が自身の記録を0秒03更新する13秒05(+1.0)の4年ぶり日本新。7月1日、米国メーン州ブランズウィックにあるボウドイン大で行われた国際競技会の女子10000mでは、2位に入った川上優子(沖電気宮崎)が31分09秒46。鈴木博美(リクルート)が1996年の日本選手権で出した31分19秒40を約10秒上回る、こちらも4年ぶりの日本新だった。
日本グランプリシリーズ第6戦の日本選抜混成が6月3~4日、石川県の松任総合運動公園競技場で行われた。女子七種競技では中田有紀(東海デカスロンチーム)が5642点の日本新をマーク。生方留美子(ミズノ)が5年前に作った日本記録を、わずか3点だが更新した。
第15回サロマ湖100kmウルトラマラソンが6月25日、北海道の湧別町総合体育館をスタートし、常呂町民センターにフィニッシュするサロマ湖畔のコースで行われた。初挑戦した安部友恵(旭化成)は、1km3分50~55秒のペースを刻みながら、6時間33分11秒で走破。5年前にアン・トレーソン(米国)が作った7時間00分48秒の世界最高記録を、一気に27分37秒も破った。
シドニー五輪の最終選考会、南部記念陸上
第13回南部記念は7月16日、シドニー五輪の最終選考会として北海道札幌市の円山競技場で行われ、好記録が相次いだ。
男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)は、3回目に80m47、5回目に80m56と、5月に自らが出した80m23の日本記録を、2度にわたって書き替えた。女子100mハードルの金沢イボンヌ(佐田建設)も、6月に米国で出した記録を更新する13秒00(+0.7)。アトランタ五輪に続いての代表入りを決めた。
男子三段跳の杉林孝法(ミキハウス)は、日本人2人目の17m台となる17m02。17m15の日本記録保持者・山下訓史(日本電気)に続いて大台に乗せた。男子走高跳の吉田孝久(ミズノ)は、2m28のシドニー五輪参加A標準記録をクリアし、30歳で初の五輪代表入り。女子100mは、1週間前に地元・福井のレースで11秒42の日本新を出した坂上香織(ミキハウス)が、再び11秒42(+1.2)の日本タイ。しかし、11秒40のA標準記録に届かず、女子短距離のシドニー派遣はなくなった。
この結果を受けて、日本陸連は7月19日の臨時理事会でシドニー五輪代表に5人を追加。総勢40人の日本代表になった。
シドニー五輪代表選手壮行試合として9月9日に横浜国際総合競技場で行われた「スーパー陸上2000横浜」では、フレッシュな男子学生が躍動した。200mで末續慎吾(東海大)が20秒26(-0.9)の日本歴代2位。400mでは、4着の山村貴彦(日大)が45秒03の日本歴代2位、5着の小坂田淳(大阪ガス)が45秒05の日本歴代3位。400mハードルの為末大(法大)は、日本歴代3位の48秒47で3着。100mでは、川畑伸吾(法大)が10秒25(-0.3)をマークして、伊東浩司(富士通)、朝原宣治(大阪ガス)のベテラン2人を抑えた。
また、男子ハンマー投では室伏広治(ミズノ)が6回の試技中、4回も80mラインを突破する好調ぶり。今季3度目の日本新となる81m08を投げた。
女子20km競歩で二階堂が日本最高
第39回全日本競歩高畠大会が10月29日、山形県高畠町中央公園の周回コース(1周2km)で行われ、女子20kmで二階堂香織(サニーマート)が1時間32分44秒の日本最高記録で2連覇を果たした。三森由佳(綜合警備保障)が1999年1月に出した1時間33分08秒を破った。
男子マラソンで藤田敦史が日本最高記録
第54回福岡国際マラソンが12月3日、2001年夏に開催されるエドモントン世界選手権の代表選考会と日本選手権を兼ねて、福岡市の平和台陸上競技場発着のコースで行われた。セビリア世界選手権6位入賞の藤田敦史(富士通)が、2時間6分51秒の日本最高記録で優勝。シドニー五輪金メダリストで、この大会2連覇を狙ったゲザハン・アベラ(エチオピア)らを抑え、犬伏孝行(大塚製薬)が1999年に出した2時間6分57秒を破った。国内のレースで日本最高が出たのは、1985年の中山竹通(ダイエー)以来15年ぶり。この大会の日本人優勝は、第45回の森田修一(日産自動車)以来9年ぶりのこと。藤田は「日本選手トップで2時間10分を切ること」という選考基準をクリアして、エドモントン世界選手権の代表に内定した。
年が明けて、2001年1月28日に大阪市の長居陸上競技場発着で行われた第20回大阪国際女子マラソンでも、7年ぶりの日本人優勝。21歳の渋井陽子(三井海上)が初マラソンに挑み、22km付近でシドニー五輪6位のエルフィネシュ・アレム(エチオピア)を振り切って独走態勢に。2時間23分11秒の日本歴代4位、初マラソン世界最高で優勝を飾った。福岡国際マラソンの藤田と同様の選考基準で、渋井もエドモントン世界選手権の代表に内定。11月の東京国際女子マラソンで日本人トップの2位に入った土佐礼子に続き、三井海上から2人目の代表入りとなった。
2月18日に東京都青梅市で行われた第35回青梅マラソンの女子30kmでは、シドニー五輪金メダルの高橋尚子(積水化学)が1時間41分57秒の日本最高記録で優勝。ただし、1998年バンコク・アジア大会で自身がマラソン日本最高タイムを出した時の30km通過タイム・1時間39分02秒(非公認)には及ばなかった。
記事提供:月刊陸上競技
平成12年4月~平成13年3月
シドニー五輪で高橋尚子が日本女子初の金メダル
20世紀最後の年で、「ミレニアム五輪」と名付けられた第27回夏季オリンピック・シドニー大会が2000年9月15日に開幕。オーストラリアでは1956年にメルボルン大会が開かれており、オリンピックの南半球開催はそれ以来2度目になる。陸上競技は9月22日から10月1日まで、男女46種目に熱戦を展開した。前回のアトランタ五輪より7人多い40人(男子28、女子12)の代表を送り込んだ日本は、櫻井孝次監督(シドニー五輪強化特別委員長)が「メダル2、入賞5」の目標を掲げたが、メダル1、入賞3という結果に。だが、ただ1つのメダルが金。64年ぶりの快挙に、日本中が沸いた。
9月24日に行われた女子マラソンには、前年のセビリア世界選手権を脚の故障で欠場した高橋尚子(積水化学)が出場。その時と同様に米国・ボルダーで高地トレーニングを積んで、そのままシドニー入り。「3500mの超高地で心肺機能を強化した」というトレーニングは順調で、今度は元気にスタートラインに立った。
27kmから高橋とリディア・シモン(ルーマニア)の一騎打ちになったレースは、35km手前で高橋がサングラスを投げてスパート。40kmで28秒あったシモンとの差は、フィニッシュで8秒に縮まったが、高橋が逃げ切った。2時間23分14秒の五輪新で、1936年のベルリン五輪男子マラソンで孫基禎が取って以来64年ぶりの金メダル獲得。陸上競技の女子では初の快挙となった。
レース後、高橋は「苦しかったのはラスト3kmぐらいで、あとはレースを楽しみながら『うれしい』と心の中で叫んでいました」と話し、次の目標として世界記録挑戦を明言。帰国後は日本中で〝高橋フィーバー〟が起こり、10月30日には首相官邸で森喜朗首相から国民栄誉賞が授与された。
女子マラソンでは、山口衛里(天満屋)も7位入賞を果たした。

高橋尚子 ©フォート・キシモト
男子長距離の高岡は10000mで7位入賞
5000mは64年ぶりに決勝へ進出
シドニー五輪の「64年ぶり」がもう1つ。1936年のベルリン五輪では、村社講平(中大)が男子5000m、10000mの長距離2種目で4位に入賞しているが、シドニー大会では高岡寿成(鐘紡)が先に行われた男子10000mで7位入賞(27分40秒44の日本歴代2位)を果たした。その後の5000mも予選を突破。決勝は15位にとどまったが、長距離2種目で決勝レースを走るのは、村社以来64年ぶりの快挙だった。
また、男子4×100mリレーでは、2大会ぶりの入賞となる6位(38秒66)。川畑伸吾(法大)、伊東浩司(富士通)、末續慎吾(東海大)、朝原宣治(大阪ガス)のオーダーで臨んだ準決勝では、38秒31の日本タイ記録をマークした。決勝は、故障の川畑に代えて、小島茂之(早大)を1走に起用した。
シドニー行き目指して春季サーキット活況
シドニー五輪の代表入りを目指して、2000年の春季サーキットは各地で好記録が相次いだ。
4月22~23日に群馬県前橋市の敷島公園陸上競技場で行われた第1戦の群馬リレーカーニバルでは、19歳の森千夏(国士大)が女子砲丸投で16m43の日本新。1993年に鈴木文(スポーツプラザ丸長)が出した16m22を、7年ぶりに21cm更新した。
第3戦の第34回織田記念は4月29日、広島市の広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で行われた。男子棒高跳で横山学(百十四銀行)が自己の持つ日本記録を7cm上回る5m70をクリア。3度目のシドニー五輪参加A標準記録(5m60)突破となった。
5月3日に静岡市の草薙総合運動公園陸上競技場で行われた第16回静岡国際。強い風が吹いたこの日、男子走幅跳では追い風参考記録ながら、日本選手4人が8mを突破した。森長正樹(ゴールドウイン)は、自らの持つ日本記録8m25を上回る8m34(+3.0)のビッグジャンプを披露。また、男子400mハードルでは、為末大(法大)が4年ぶりの自己新となる49秒01で、先輩の苅部俊二(富士通)を抑えた。
最終戦の水戸国際は5月7日、茨城県の水戸市立競技場で行われた。女子走幅跳の花岡麻帆(三英社)が6回目に6m61(+2.0)の日本タイ。高松仁美が米国・ジョージメイソン大に留学中の1995年に出した日本記録と並び、シドニー五輪参加A標準記録にあと4cmと迫った。男子400mの山村貴彦(日大)は群馬、広島に続き春季サーキット3連勝。自身初の45秒台となる45秒81を出したものの、シドニー五輪参加A標準記録に100分の1秒届かなかった。
ハンマー投の室伏広治が初の80m突破
国際グランプリ大阪大会が5月13日、大阪市の長居陸上競技場で開催された。男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)が、2投目に自らの持つ日本記録を3cm上回る79m20の日本新。3投目には初の80mライン突破となる80m23を投げ、海外の強豪を抑えて優勝した。日本人で初めて70m台に乗せたのが父の室伏重信氏で、1971年4月のこと。それから29年を経て、息子が80m突破を果たした。
米国で女子10000mと100mHの日本新
6月末から7月にかけて、海外から日本新の報が入ってきた。6月24日に米国・サンディエゴで行われた国際競技会の女子100mハードルで、金沢イボンヌ(佐田建設)が自身の記録を0秒03更新する13秒05(+1.0)の4年ぶり日本新。7月1日、米国メーン州ブランズウィックにあるボウドイン大で行われた国際競技会の女子10000mでは、2位に入った川上優子(沖電気宮崎)が31分09秒46。鈴木博美(リクルート)が1996年の日本選手権で出した31分19秒40を約10秒上回る、こちらも4年ぶりの日本新だった。
日本グランプリシリーズ第6戦の日本選抜混成が6月3~4日、石川県の松任総合運動公園競技場で行われた。女子七種競技では中田有紀(東海デカスロンチーム)が5642点の日本新をマーク。生方留美子(ミズノ)が5年前に作った日本記録を、わずか3点だが更新した。
第15回サロマ湖100kmウルトラマラソンが6月25日、北海道の湧別町総合体育館をスタートし、常呂町民センターにフィニッシュするサロマ湖畔のコースで行われた。初挑戦した安部友恵(旭化成)は、1km3分50~55秒のペースを刻みながら、6時間33分11秒で走破。5年前にアン・トレーソン(米国)が作った7時間00分48秒の世界最高記録を、一気に27分37秒も破った。
シドニー五輪の最終選考会、南部記念陸上
第13回南部記念は7月16日、シドニー五輪の最終選考会として北海道札幌市の円山競技場で行われ、好記録が相次いだ。
男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)は、3回目に80m47、5回目に80m56と、5月に自らが出した80m23の日本記録を、2度にわたって書き替えた。女子100mハードルの金沢イボンヌ(佐田建設)も、6月に米国で出した記録を更新する13秒00(+0.7)。アトランタ五輪に続いての代表入りを決めた。
男子三段跳の杉林孝法(ミキハウス)は、日本人2人目の17m台となる17m02。17m15の日本記録保持者・山下訓史(日本電気)に続いて大台に乗せた。男子走高跳の吉田孝久(ミズノ)は、2m28のシドニー五輪参加A標準記録をクリアし、30歳で初の五輪代表入り。女子100mは、1週間前に地元・福井のレースで11秒42の日本新を出した坂上香織(ミキハウス)が、再び11秒42(+1.2)の日本タイ。しかし、11秒40のA標準記録に届かず、女子短距離のシドニー派遣はなくなった。
この結果を受けて、日本陸連は7月19日の臨時理事会でシドニー五輪代表に5人を追加。総勢40人の日本代表になった。
シドニー五輪代表選手壮行試合として9月9日に横浜国際総合競技場で行われた「スーパー陸上2000横浜」では、フレッシュな男子学生が躍動した。200mで末續慎吾(東海大)が20秒26(-0.9)の日本歴代2位。400mでは、4着の山村貴彦(日大)が45秒03の日本歴代2位、5着の小坂田淳(大阪ガス)が45秒05の日本歴代3位。400mハードルの為末大(法大)は、日本歴代3位の48秒47で3着。100mでは、川畑伸吾(法大)が10秒25(-0.3)をマークして、伊東浩司(富士通)、朝原宣治(大阪ガス)のベテラン2人を抑えた。
また、男子ハンマー投では室伏広治(ミズノ)が6回の試技中、4回も80mラインを突破する好調ぶり。今季3度目の日本新となる81m08を投げた。
女子20km競歩で二階堂が日本最高
第39回全日本競歩高畠大会が10月29日、山形県高畠町中央公園の周回コース(1周2km)で行われ、女子20kmで二階堂香織(サニーマート)が1時間32分44秒の日本最高記録で2連覇を果たした。三森由佳(綜合警備保障)が1999年1月に出した1時間33分08秒を破った。
男子マラソンで藤田敦史が日本最高記録
第54回福岡国際マラソンが12月3日、2001年夏に開催されるエドモントン世界選手権の代表選考会と日本選手権を兼ねて、福岡市の平和台陸上競技場発着のコースで行われた。セビリア世界選手権6位入賞の藤田敦史(富士通)が、2時間6分51秒の日本最高記録で優勝。シドニー五輪金メダリストで、この大会2連覇を狙ったゲザハン・アベラ(エチオピア)らを抑え、犬伏孝行(大塚製薬)が1999年に出した2時間6分57秒を破った。国内のレースで日本最高が出たのは、1985年の中山竹通(ダイエー)以来15年ぶり。この大会の日本人優勝は、第45回の森田修一(日産自動車)以来9年ぶりのこと。藤田は「日本選手トップで2時間10分を切ること」という選考基準をクリアして、エドモントン世界選手権の代表に内定した。
年が明けて、2001年1月28日に大阪市の長居陸上競技場発着で行われた第20回大阪国際女子マラソンでも、7年ぶりの日本人優勝。21歳の渋井陽子(三井海上)が初マラソンに挑み、22km付近でシドニー五輪6位のエルフィネシュ・アレム(エチオピア)を振り切って独走態勢に。2時間23分11秒の日本歴代4位、初マラソン世界最高で優勝を飾った。福岡国際マラソンの藤田と同様の選考基準で、渋井もエドモントン世界選手権の代表に内定。11月の東京国際女子マラソンで日本人トップの2位に入った土佐礼子に続き、三井海上から2人目の代表入りとなった。
2月18日に東京都青梅市で行われた第35回青梅マラソンの女子30kmでは、シドニー五輪金メダルの高橋尚子(積水化学)が1時間41分57秒の日本最高記録で優勝。ただし、1998年バンコク・アジア大会で自身がマラソン日本最高タイムを出した時の30km通過タイム・1時間39分02秒(非公認)には及ばなかった。
記事提供:月刊陸上競技


