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日本陸上競技連盟史

2003年度

2003年度
平成15年4月~平成16年3月


春季サーキットで女子砲丸投の森が日本新


 2003グランプリシリーズ春季サーキットは、8月のパリ世界選手権と9月のアジア選手権(フィリピン・マニラ)の代表選手選考会を兼ねて、4戦が行われた。

 第1戦の兵庫リレーカーニバル(神戸・ユニバー記念)は4月20日に行われ、女子砲丸投の森千夏(スズキ)が17m53の日本新。自らの持つ日本記録を14cm更新した。森は5月3日の静岡国際でも、17m53の日本タイ記録を投げ、室内と合わせパリ世界選手権の参加B標準記録(17m20)を4回突破した。

 5月5日に行われた最終戦の水戸国際陸上では、男子100mの末續慎吾(ミズノ)が10秒03(+1.8)の日本人国内最高記録(日本歴代3位)で2位。優勝はパトリック・ジョンソン(豪州)で、オセアニア初の9秒台となる9秒93だった。

 今季から4つのグレードに改編された国際陸連のグランプリシリーズで、その3番目のグレードGPに区分される国際グランプリ大阪が5月10日、大阪市の長居陸上競技場で開催された。男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)が、82m95の大会新で2年ぶり3度目の優勝。女子400mハードルの吉田真希子(FSGカレッジリーグ)は、4位ながら56秒13の日本新をマークし、パリ世界選手権の参加B標準記録(56秒25)を破った。

日本選手権で日本新が男女6種目で誕生

 パリ世界選手権の代表選手選考会を兼ねた第87回日本選手権大会は6月6~8日、神奈川県横浜市の横浜国際総合競技場で行われ、日本新記録が男女6種目で誕生する盛況となった。

 末續慎吾(ミズノ)は24年ぶりに男子100m、200mの2種目を制覇。200mは20秒03(+0.6)と、伊東浩司(富士通)が1998年に出した20秒16のアジア記録・日本記録を大幅に破った。100mは10秒13(+0.1)で圧勝している。男子棒高跳の澤野大地(NISHI.A.C.)は、5m75の日本新。ただ1人5m70のパリ世界選手権参加A標準記録に挑戦して3回目にクリアすると、日本記録を4cm上回る5m75にバーを上げ、1回目に成功させた。この日9本目の試技だった。

 この他、女子4種目で日本新が生まれた。棒高跳は、小野真澄(札幌陸協)が自身の日本記録を1cm更新する4m21で4年ぶりの優勝。昨年の室内でB標準記録の4m30(室内日本記録)を跳んでいる小野は、選考基準をクリアして代表入り。屋外日本記録を1cm上回った。B標準記録を突破済みの杉森美保(京セラ)が故障で欠場した800mは、西村美樹(東学大)が独走。2分02秒10の日本新で、4年ぶりの優勝を飾った。

 七種競技は、中田有紀(さかえクリニック)が5910点で2連覇。一昨年、自身が作った日本記録を48点更新した。400mハードルの吉田真希子(FSGカレッジリーグ)は、大阪グランプリで出したばかりの日本記録(56秒13)を更新する55秒89で4連覇。400mとの2冠は2年連続だった。

 日本選手権を終え、日本陸連は6月9日に横浜市内で理事会・評議員会を開き、8月にパリで開かれる第9回世界選手権の代表30人(すでにマラソン男女10人は発表済み)を決めた。日本選手権で優勝しても参加標準記録を破っていない選手には〝追試〟が認められ、7月26日の南部記念までに突破すれば代表入りの可能性を残した。また、女子4×100mリレーは「誰か1人でも標準記録を破ること」、「リレーで日本記録に近いタイムを出すこと」のいずれかをクリアしたら代表を送ることが決まった。

「ホクレン・ディスタンス・チャレンジ」がスタート

 梅雨のない北海道で地元に密着した記録会を開催し、長距離種目のレベルアップを図ろう、との趣旨で、日本陸連強化委員会は「ホクレン・ディスタンス・チャレンジ」シリーズをスタート。6月18日に釧路、6月22日に網走、6月25日に深川、6月29日に士別と転戦した後、7月2日に札幌・円山競技場で最終戦を行い、5試合とも1位9点、2位7点……8位1点のポイントを与えて大会ごと、また総合で上位8人に規定の強化費を支給する仕組み。男女の5000m、10000mで新たな標準記録突破者は出なかったが、積極的な記録へのチャレンジが各大会で繰り広げられた。

男子ハンマー投の室伏が84m86のアジア新

 国際陸連主催のグランプリ(GPⅡ)大会・プラハ国際が6月29日、チェコの当地で開かれた。日本選手権では日本記録にあと18cmと迫る83m29で9連覇を達成していた男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)が、世界歴代3位に入る84m86のアジア新・日本新で優勝。自身が2001年に出した83m47の日本記録を、一気に1m39更新した。現役選手に限れば世界の最高記録。上には1980年代の二大巨頭、ユーリー・セディフとセルゲイ・リトヴィノフ(ともにソ連)しかいない。これが自身18度目(13試合)の日本新達成だった。

室伏広治 ©フォート・キシモト

女子4継、代表入りを決める日本新

 第16回南部記念が7月26日、札幌の円山競技場で行われた。パリ世界選手権へ最後の挑戦となった女子4×100mリレーの日本代表は、44秒10の日本新をマーク。1999年5月に出した44秒11を4年ぶりに破り、今季6度目の挑戦で代表入りを決めた。石田智子(長谷川体育施設)、鈴木亜弓(スズキ)、坂上香織(ミキハウス)、新井初佳(ピップフジモト)のオーダーを組んで4レース目の快挙だった。7月20日の愛知県選手権(瑞穂競技場)で13秒47(+1.0)の日本新をマークし、13秒54のA標準記録を突破していた男子110mハードルの内藤真人(ミズノ)はしっかりと優勝(13秒78/-2.9)を飾り、代表入りを決めた。

パリ世界選手権で過去最多4つのメダル
男子200m銅の末續は日本短距離で初

 第9回世界選手権パリ大会は8月23~31日の9日間、パリ近郊サンドニのスタド・ドゥ・フランス(フランス競技場)で開催された。日本は過去最多となる4つのメダルを獲得。4~8位の入賞8も前回大会と並ぶ過去最多だった。

 その中で、五輪を含めて日本の短距離界で初のメダリストに輝いたのが男子200mの末續慎吾(ミズノ)。日本選手権で出した20秒03は、堂々のランキング1位だった。一次予選20秒58(+0.4)、二次予選20秒24(+2.3)は、いずれも最後に流してトップ通過。準決勝は20秒22(±0)で2着で通過し、この種目で五輪を含めて日本人初のファイナル進出を決めた。8月29日午後9時スタートで行われた決勝は、上位2人の米国勢に続いて、末續が20秒38(+0.1)で3位に食い込み、スタンドで見守った髙野進コーチとがっちり抱き合い、涙を流して喜び合った。

 末續は「決勝は年に1回しかない運動会を楽しみにするような気持ちでした。日本にいるうちから『メダルが欲しい』と言ってましたけど、あれは自分へのプレッシャーだったんです。じゃないと、精神的に枷をはずせないんで……」と話す。1991年の東京世界選手権男子400mで日本人初の7位入賞を果たした髙野コーチは「あそこ(表彰台)に立ちたいと思いながら、これまで何十年と日本人が、いやアジア人が挑戦してきた。これだけの雰囲気の中で、彼は普段の力を発揮してくれました。その感慨は言葉で表せません」と感無量の表情だった。

末續慎吾 ©フォート・キシモト

 男子ハンマー投の室伏広治(ミズノ)は、2大会続けてのメダル獲得で、5投目に80m12をマークして3位。プラハ国際で大記録を出した後、7月上旬に帰国。7月末、ウエイトトレーニング中に腰を痛めるアクシデントに見舞われた。さらに、パリへ出発する3日前の8月15日には、中京大のサークルで滑って転倒。右肘を強打し、欠場も考えるほどの事態だったことを試合後に明かした。

 女子マラソンは野口みずき(グローバリー)が2位、千葉真子(豊田自動織機)が3位、坂本直子(天満屋)が4位と3人が入賞を果たし、ワールドカップ団体戦で4連覇を飾った。キャサリン・デレバ(ケニア)が2時間23分55秒で優勝し、野口は2時間24分14秒。メダリスト3人は、ロサ・モタ(ポルトガル)が1987年のローマ大会で出した2時間25分17秒の大会記録を破った。

野口みずき ©フォート・キシモト

 男子マラソンは油谷繁が5位(2時間9分26秒)、佐藤敦之が10位、尾方剛が12位と中国電力トリオが気を吐き、ワールドカップ団体戦で優勝。油谷は前回のエドモントン大会でも5位で、2大会連続入賞を果たした。

男子マラソン ©フォート・キシモト

 エドモントン大会で5位の男子4×100mリレーは、39秒05で連続入賞となる7位。200m銅メダルの末續が左脚を痛めてメンバーを外れる中、土江寛裕(富士通)、宮﨑久(ビケンテクノ)、松田亮(広島経大)、朝原宣治(大阪ガス)のオーダーで臨んだ。

 山口有希(東海大)、山村貴彦(富士通)、田畑健児(ミズノ)、佐藤光浩(仙台大)で臨んだ男子4×400mリレーは、世界選手権初入賞となる6位(3分03秒15)。予選は3分02秒35で、予選2組全体の9番目のタイムだったが、他チームの失格があり、プラス通過に食い込んだ。

 男子3000m障害の岩水嘉孝(トヨタ自動車)は、予選で8分18秒93の23年ぶり日本新を出し、4着で決勝へ進出。新宅雅也(ヱスビー食品)が1980年のDNガラン(スウェーデン・ストックホルム)で樹立した8分10秒52の日本記録を、0秒59更新した。決勝は8分19秒29で11位だった。男子棒高跳の澤野大地(NISHI.A.C.)も、予選で5m60を1回目に跳んで決勝へ進出。練習跳躍で左脚を痛めて無念の棄権となったが、日本人が決勝へ進むのは第1回大会以来20年ぶりの快挙だった。

アジア選手権は男子三段跳で唯一の金

 第15回アジア選手権は9月20~23日、フィリピンの首都・マニラで開かれた。男女66人が出場した日本勢は、男子三段跳の石川和義(筑波大)が16m72(+0.7)で日本勢唯一の金メダルを獲得。女子砲丸投の森千夏(スズキ)は、自らの持つ日本記録を27cm更新する17m80の日本新で3位だった。

 銀メダルと銅メダルは、それぞれ9個ずつ。男子走幅跳の寺野伸一(大阪陸協)が初の8mオーバーとなる8m04(+1.8)で、銅メダル。日本人10人目の8m超えとなった。

50km競歩で谷井が5年ぶりの日本最高

 第42回全日本50km競歩高畠大会が11月2日、山形県高畠町の日本陸連公認コースで行われた。谷井孝行(日大)が3時間47分54秒の日本最高記録で優勝。1998年に今村文男(富士通)が出した3時間49分38秒を2分近く更新し、アテネ五輪の参加A標準記録(3時間57分00秒)も突破した。谷井はこれが50km初挑戦だった。

 女子20kmでは、川﨑真裕美(海老澤製作所)が1時間32分16秒で初優勝。2001年のこの大会で二階堂香織(サニーマート)が出した1時間32分44秒を上回る、日本最高記録だった。2位の坂倉良子(登利平アスリートクラブ)も1時間32分43秒の日本最高で、2人ともアテネ五輪の参加A標準記録(1時間33分00秒)を突破した。

国際陸連がロード種目を世界記録として公認

 国際陸連(IAAF)は2004年1月1日、マラソンや競歩のロード種目を、同日付で世界記録として公認すると発表した。IAAFはこれまで、ロード種目はレースによってコース条件が異なることから世界記録としては認めず、世界最高記録として扱ってきた。しかし、2003年8月にパリで開いた総会で、距離測定が正確であること、スタート地点とフィニッシュ地点の標高差が一定の範囲内であること、などの条件を満たすコースでの記録については、世界記録と認める方針を決定。アテネ五輪イヤーの幕開けとともに、公認世界記録を発表した。

日本選手権20km競歩で川﨑が初優勝

 第87回日本選手権20km競歩大会が1月25日、兵庫県神戸市の六甲アイランド周回コースで行われた。気温3度で雪が舞う悪コンディションの中、女子は川﨑真裕美(海老澤製作所)が1時間31分19秒の日本最高記録を樹立して初優勝を飾った。2位の坂倉良子(登利平アスリートクラブ)は、1時間32分16秒の日本最高タイ。3位の二階堂香織(サニーマート)は、1時間32分40秒の大会新。この上位3人がアテネ五輪の参加A標準記録を突破した。上位6人がA標準記録をクリアした男子は、50kmの日本最高記録保持者・谷井孝行(日大)が、日本歴代5位に入る1時間20分39秒で初優勝した。

男女砲丸投で室内日本新

 2004日中対抗室内は2月18日に中国・天津大会、2月21日に横浜大会が開かれた。天津大会では、男女の砲丸投で室内日本新が誕生。男子は野口安忠(九州情報大クラブ)が18m07、女子は森千夏(スズキ)が17m46で、ともに2位だった。野口は1998年に野澤具隆(ゼンリン)が出した17m97を6年ぶりに塗り替え、森は自身の持つ記録を11cm更新した。

 また、第10回世界室内選手権が3月5~7日、ハンガリー・ブダペストで開かれ、日本からは3人が出場。いずれも予選を通過できなかったが、男子60mハードルの内藤真人(ミズノ)は7秒77と、7年ぶりの室内日本新をマークした。

青梅マラソンで野口みずきが30kmの日本最高記録

 第38回青梅マラソンが2月15日に行われ、アテネ五輪の女子マラソン代表に内定している野口みずき(グローバリー)が30kmに初挑戦。1時間39分09秒の日本最高記録で優勝した。高橋尚子(積水化学)が2001年9月のベルリン・マラソンを2時間19分46秒で制した時の30kmの通過タイムで、公認されたばかりの世界記録(1時間39分02秒)に、あと7秒と肉薄した。

アテネ五輪のマラソン代表決まる

 日本陸連は3月14日の名古屋国際女子マラソンですべての選考レースが終了したのを受け、3月15日に都内で理事会・評議員会を開催。今夏に開かれるアテネ五輪の日本マラソン代表男女各3人と補欠1人を発表した。

 昨年11月の東京国際女子マラソンで終盤失速し、2時間27分21秒で2位に終わったシドニー五輪金メダルの高橋尚子(スカイネットアジア航空)を代表に選ぶかどうかの議論に選考会議の大半を費やした、と澤木啓祐強化委員長が記者会見で明かしたが、高橋は落選。「2大会連続メダル」の夢は消えた。

 同日の夕刻、都内のホテルで小出義雄監督と記者会見を開いた高橋は、「次の目標を見つけて全力でがんばります」と、気丈に笑顔で語った。高橋落選は各メディアが大々的に取り上げ、マラソン代表の選考方法について、世論を巻き込んで多くの意見が上がった。

記事提供:月刊陸上競技