日本陸上競技連盟史
2017年度
2017年度
2017年4月~2015年3月
日本陸上界が待ち望んだ「9秒台」ついに誕生!
日本陸上界に待望の瞬間が訪れた。9月9日、舞台は福井市の福井運動公園陸上競技場。第86回日本インカレ男子100m決勝で、桐生祥秀(東洋大)が日本人で初めて10秒の壁を破る9秒98(+1.8)をマークした。
従来の日本記録は、1998年バンコク・アジア大会で伊東浩司(富士通)が出した10秒00。この時、速報タイマーは「9.99」で止まっていた。その前はもちろん、それ以降も数々のトップスプリンターたちが挑み、届かなかった夢の記録、それこそが「9秒台」だった。
この歴史的大記録が確定した瞬間、スタジアムからは大歓声が湧き上がる。その中を、桐生は第2コーナーからホームストレートに向かって歓喜を爆発させながら“ウィニングダッシュ”。メインスタンド前で立ち止まると、今度はゆっくりと歩いてフィニッシュ付近へと戻りながら、両手の人差し指を突き上げ、その余韻に浸った。
このタイムは蘇炳添(中国)の9秒99を上回る黄色人種最高タイム。アジア記録はナイジェリア出身のフェミ・オグノデ(カタール)が9秒93だが、日本の枠にとどまらない記録の価値が見て取れる。
また、桐生が生み出した熱狂は、瞬く間に日本中へと広がっていく。年末の流行語大賞では「9.98」が特別賞に選出されるほどで、これは桐生が積み上げてきたキャリアが大きく影響していると言えるだろう。
京都・洛南高3年だった2013年、4月29日の織田記念予選で10秒01の驚異的な高校新記録を樹立。公認要件が整わなかったため当時のジュニア世界タイ記録としては認められなかったが、世界基準の爆走を見せた坊主頭の17歳は日本中から注目を集めるスプリンターとなった。
その後、常に「日本人最初の9秒台」を期待されることになり、苦悩する時期もあったが、その中でも同年の大分インターハイで3冠とMVPを獲得し、直後のモスクワ世界選手権4×100mリレーで6位入賞(1走)。翌年の日本選手権優勝、世界ジュニア選手権銅メダル。15年は春先の米国で追い風参考ながら9秒87を叩き出し、16年リオ五輪では4×100mリレーで3走として銀メダル獲得の原動力となった。この日本インカレ前も、ロンドン世界選手権の4×100mリレーで同じく3走として銅メダル獲得に貢献している。
桐生はレース直後、こう思いの丈を語っている。
「高3で10秒01を出してから、口にはしなくても『9秒台は俺が最初に出すぞ』と思っていました。誰でもいいやと思った時点で負けなので、その気持ちを持ちながらこのレースも走りました」
そして、こうも続ける。
「9秒台で僕の陸上人生は終わりではない。ようやく、世界のスタートラインに立てたという感じです」
日本選手権の主役は18歳・サニブラウン
前年のリオ五輪男子4継の銀メダルが生み出した熱狂は、この年にも波及していった。その中心に、18歳のサニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)がいた。
日本陸連が2014年度から展開する若手競技者育成プログラム「ダイヤモンドアスリート」の1期生で、2015年には世界ユース選手権で100m、200mをいずれも大会新記録で制する快挙を成し遂げていた。東京・城西高を卒業後、フロリダ大への進学が決まっていたが、その間を世界的名コーチであるレイナ・レイダー氏に師事し、大きな成長を遂げる。
その本領発揮の第一段階が大阪市のヤンマースタジアム長居で6月23日~25日に開催された第101回日本選手権だった。100mを日本歴代6位の10秒05で制すると、200mは日本歴代8位の20秒32で制覇。リオ五輪4×100mリレー銀メダルメンバーの山縣亮太(セイコー)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生、ケンブリッジ飛鳥(Nike)らを圧倒する姿に、早くも次世代の台頭を感じさせた。
サニブラウンに次ぐ2位には多田修平(関学大)が食い込む。日本選手権の2週間前に行われた日本学生個人選手権で、追い風参考ながら9秒94(+4.5)をマークするなど急成長を遂げた。
ロンドン世界選手権代表選考会を兼ねたこの大会では、他の種目もハイレベルの熱戦が繰り広げられた。女子100m、200mでは市川華菜(ミズノ)がいずれも初優勝で2冠を達成。福島千里(札幌陸協)の100m8連覇、200m7連覇を阻止し、女子MVPに輝いた。
男子110mハードルは2年ぶり優勝を飾った高山峻野(ゼンリン)。準決勝13秒44、決勝13秒45と好タイムを連発。予選では増野元太(ヤマダ電機)が日本記録にあと0.01秒と肉薄する13秒40を出すなどその他にも好タイムが次々と出され、その後に生まれるスプリントハードル活況へとつながっていく。男子走幅跳では18歳の橋岡優輝(日大)が8m05で初優勝。棒高跳を7度制した父・利行さん、100mハードル連覇、走幅跳3度制覇の母・直美さんとの“親子V”を達成した。
ロンドン世界選手権では3個のメダル獲得
この年の大一番、第16回世界選手権は英国・ロンドンで8月4日~13日に開催された。男子34名、女子13名の選手団で挑んだ日本を牽引したのは、勢いを増す男子スプリント陣だった。
男子4×100mリレーでは世界選手権では初となるメダルを獲得。予選は多田修平(関学大)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生祥秀(東洋大)、ケンブリッジ飛鳥(Nike)のオーダーで臨み、38秒21の3着ながら2大会ぶりに決勝へ駒を進める。決勝は4走のケンブリッジを藤光謙司(ゼンリン)に入れ替え。多田の好スタートから流れを作った。飯塚、桐生と3、4番手争いでアンカーへ。このレースで引退を表明していたウサイン・ボルト(ジャマイカ)がアンカーの途中で左脚を痛めて棄権するなか、日本は藤光が3位でフィニッシュし、銅メダルをつかみ取った。帰国後の会見で飯塚は「メンバー変更もあり、補欠も含めて6人で勝ち取ったメダル」と胸を張った。
個人ではサニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)が躍動する。多田、ケンブリッジと臨んだ100mは、3人そろって準決勝に進出。前回、史上最年少出場を果たしてセミファイナルまで進んだ200mは、準決勝2組を20秒43(-0.3)の2着で突破。日本人選手では2003年に銅メダルを獲得した末續慎吾(ミズノ)以来、14年ぶりのファイナリストとなった。加えて、世界選手権男子200mにおけるファイナリストの最年少記録は、ボルト(ジャマイカ)の18歳355日だったが、サニブラウンは18歳157日で決勝の日(8月10日)を迎える。そして、20秒63(-0.1)で堂々の7位入賞。「まだまだ満足できないですが、世界のファイナルなので、とことん楽しんでやろうと思いました」と充実感があふれた。飯塚翔太(ミズノ)も予選で20秒58(+0.7)をマークして準決勝へ進出した。
大会最終日の男子50km競歩では、日本に2つのメダルが輝く。荒井広宙(自衛隊体育学校)が銀メダル、小林快(ビックカメラ)が銅メダルを手にした。日本勢の同一種目複数メダルは、2003年パリ大会の女子マラソン(銀、銅)以来14年ぶりで、男子では初の快挙。丸尾知司(愛知製鋼)も5位を占め、2007年大阪大会の男子マラソン(5位、6位、7位)以来となるトリプル入賞も達成した。
バッキンガム宮殿前の周回コースで行われたレースで、ヨアン・ディニ(フランス)が抜け出すなか、日本勢3選手は第2集団でレースを進める。36km付近で荒井が仕掛けると、小林がついて最後まで2位争いを繰り広げた。荒井はシーズンベストの3時間41分17秒、小林は自己ベストの3時間41分19秒をマーク。丸尾も3時間43分03秒の自己新。荒井は「プレッシャーのあるなかでメダルを獲得することができ、すごくいい世界選手権になった。それ以上に、50km競歩に参加した3名の選手が全員入賞したことが一番、素晴らしかった」と胸を張った。
女子100mハードルには、初出場の木村文子(エディオン)と2大会ぶり2度目の出場となる紫村仁美(東邦銀行)の2名が出走した。予選2組に入った木村が、13秒15(-0.9)をマークして4着となり、この種目では日本人選手初の準決勝進出を決めた。男子110mハードルでも増野元太(ヤマダ電機)が準決勝進出を果たしている。
女子10000mには松田瑞生(ダイハツ)、鈴木亜由子(日本郵政グループ)、上原美幸(第一生命グループ)の3名が出場。世界記録保持者のアルマズ・アヤナ(エチオピア)が飛び出す展開のなか、入賞圏内が見える位置で走った鈴木が31分27秒30で10位となった。松田は19位、上原は24位という結果だった。
タワー・ブリッジを発着点として行われた男子マラソンは、ケニアとエチオピア勢が抜け出す展開のなか、日本勢は川内優輝(埼玉県庁)が2時間12分19秒で9位、中本健太郎(安川電機)が10位、井上大仁(MHPS)が26位となった。同日行われた女子マラソンには清田真央(スズキ浜松AC)、安藤友香(スズキ浜松AC)、重友梨佐(天満屋)が出場。清田が2時間30分36秒で16位、安藤が17位、重友は27位だった。
秋シーズンにも好記録が続々誕生
男子スプリントの勢いは、秋になっても続いていく。9月22日~24日に行われた第65回全日本実業団対抗選手権の100mで、山縣亮太(セイコー)が日本歴代2位タイの10秒00を叩き出した。ケガの影響で日本選手権で6位に敗れ、ロンドン世界選手権代表入りを逃していた。その雪辱を期した秋シーズンで、その存在を大いにアピール。2週間前に桐生が9秒台を出した際は追い風1.8m。今回は追い風0.2mの条件に、「ほぼ無風でこのタイムが出たのは自信になります」とうなずいた。
男子スプリント以外にも、歴史的な記録が生まれていった。
男子円盤投では堤雄司(群馬綜合ガードシステム)が快投を連発。この種目の日本記録は1979年に川崎清貴が出した60m22が長く残ってきた。まず、7月22日の国士大競技会で60m37をマークしたが、サークル周りの囲いを設置していなかったため非公認に。しかし、8月18日の関東選手権で1投目に60m34、3投目に60m54を放ち、正真正銘の38年ぶりに日本新記録樹立を成し遂げた。その後の全日本実業団で、60m74まで記録を伸ばしている。
五輪マラソン代表選考方式「MGC」が誕生!
4月18日、日本陸連は都内で臨時理事会を開き、強化委員会から示された2020年東京五輪のマラソン代表選考方針を承認した。2019年秋(後に9月15日に決定)に、五輪本番コースに近いコース設定での代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」を開催し、そこで2人を内定(優勝者+2位または3位のMGCレース派遣設定記録突破者、または突破者不在の場合は2位の選手)。残る1人はそれ以降の「MGCファイナルチャレンジ」に設定された国内レースで派遣設定記録を突破した記録最上位の選手、突破者がいなければ内定者を除くMGC最上位者を選出するというもの。長らく、マラソンの五輪代表選考は明確な選考基準を設けることができず、代表発表のたびに物議を醸すことが続いていたが、ここに実質的な“一発選考”が誕生したことになる。
MGC出場者の決定には「MGCシリーズ」という“予選”を設け、国内主要マラソンで日本人上位、さらには基準記録を突破した選手が出場権を獲得する方式に。2017年8月1日~18年3月31日までの「シリーズ1」、2018年4月1日~19年3月31日までに「シリーズ2」と約1年半以上に渡って展開されることになった。
発表に際して日本陸連の尾縣貢専務理事は「2008年の北京大会以降、オリンピックのマラソンはかなりの不振に陥り、我々は危機的状況と捉えてこれまでの先行方法を考え直し、新たな方法を導入することにしました」とし、「選考は強化の重要なツールである、と現在の強化委員会は認識しています」と続ける。明確な選考方針を示すとともに、「東京五輪でメダルを取る」ためのロードマップを強く示した。
8月末の北海道から始まったMGCシリーズでは、地元五輪を目指す選手たちによるハイレベルの切磋琢磨が繰り広げられる。その中で、年が変わって2018年2月25日、第12回目の東京マラソンの男子で歴史が動いた。日本人トップの2位を占めた設楽悠太(Honda)が、2時間6分11秒をマーク。2001年に高岡寿成(カネボウ)が作った日本記録2時間6分16秒を16年ぶりに塗り替えた。日本人2番手(5位)の井上大仁(MHPS)も2時間6分54秒を出し、日本人が同一レースで初めて2時間6分台を複数人が記録した点でも、歴史的な日となった。設楽はレースの賞金400万円と、タイムボーナス(日本新)500万円、さらに日本実業団連合がマラソン強化のために打ち出したプロジェクト「Project ECEED」の報奨金1億円をゲットした。
記事提供:月刊陸上競技
2017年4月~2015年3月
日本陸上界が待ち望んだ「9秒台」ついに誕生!
日本陸上界に待望の瞬間が訪れた。9月9日、舞台は福井市の福井運動公園陸上競技場。第86回日本インカレ男子100m決勝で、桐生祥秀(東洋大)が日本人で初めて10秒の壁を破る9秒98(+1.8)をマークした。
従来の日本記録は、1998年バンコク・アジア大会で伊東浩司(富士通)が出した10秒00。この時、速報タイマーは「9.99」で止まっていた。その前はもちろん、それ以降も数々のトップスプリンターたちが挑み、届かなかった夢の記録、それこそが「9秒台」だった。
この歴史的大記録が確定した瞬間、スタジアムからは大歓声が湧き上がる。その中を、桐生は第2コーナーからホームストレートに向かって歓喜を爆発させながら“ウィニングダッシュ”。メインスタンド前で立ち止まると、今度はゆっくりと歩いてフィニッシュ付近へと戻りながら、両手の人差し指を突き上げ、その余韻に浸った。

日本インカレ男子100m決勝 桐生祥秀 ©月刊陸上競技
このタイムは蘇炳添(中国)の9秒99を上回る黄色人種最高タイム。アジア記録はナイジェリア出身のフェミ・オグノデ(カタール)が9秒93だが、日本の枠にとどまらない記録の価値が見て取れる。
また、桐生が生み出した熱狂は、瞬く間に日本中へと広がっていく。年末の流行語大賞では「9.98」が特別賞に選出されるほどで、これは桐生が積み上げてきたキャリアが大きく影響していると言えるだろう。
京都・洛南高3年だった2013年、4月29日の織田記念予選で10秒01の驚異的な高校新記録を樹立。公認要件が整わなかったため当時のジュニア世界タイ記録としては認められなかったが、世界基準の爆走を見せた坊主頭の17歳は日本中から注目を集めるスプリンターとなった。
その後、常に「日本人最初の9秒台」を期待されることになり、苦悩する時期もあったが、その中でも同年の大分インターハイで3冠とMVPを獲得し、直後のモスクワ世界選手権4×100mリレーで6位入賞(1走)。翌年の日本選手権優勝、世界ジュニア選手権銅メダル。15年は春先の米国で追い風参考ながら9秒87を叩き出し、16年リオ五輪では4×100mリレーで3走として銀メダル獲得の原動力となった。この日本インカレ前も、ロンドン世界選手権の4×100mリレーで同じく3走として銅メダル獲得に貢献している。
桐生はレース直後、こう思いの丈を語っている。
「高3で10秒01を出してから、口にはしなくても『9秒台は俺が最初に出すぞ』と思っていました。誰でもいいやと思った時点で負けなので、その気持ちを持ちながらこのレースも走りました」
そして、こうも続ける。
「9秒台で僕の陸上人生は終わりではない。ようやく、世界のスタートラインに立てたという感じです」
日本選手権の主役は18歳・サニブラウン
前年のリオ五輪男子4継の銀メダルが生み出した熱狂は、この年にも波及していった。その中心に、18歳のサニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)がいた。
日本陸連が2014年度から展開する若手競技者育成プログラム「ダイヤモンドアスリート」の1期生で、2015年には世界ユース選手権で100m、200mをいずれも大会新記録で制する快挙を成し遂げていた。東京・城西高を卒業後、フロリダ大への進学が決まっていたが、その間を世界的名コーチであるレイナ・レイダー氏に師事し、大きな成長を遂げる。
その本領発揮の第一段階が大阪市のヤンマースタジアム長居で6月23日~25日に開催された第101回日本選手権だった。100mを日本歴代6位の10秒05で制すると、200mは日本歴代8位の20秒32で制覇。リオ五輪4×100mリレー銀メダルメンバーの山縣亮太(セイコー)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生、ケンブリッジ飛鳥(Nike)らを圧倒する姿に、早くも次世代の台頭を感じさせた。
サニブラウンに次ぐ2位には多田修平(関学大)が食い込む。日本選手権の2週間前に行われた日本学生個人選手権で、追い風参考ながら9秒94(+4.5)をマークするなど急成長を遂げた。
ロンドン世界選手権代表選考会を兼ねたこの大会では、他の種目もハイレベルの熱戦が繰り広げられた。女子100m、200mでは市川華菜(ミズノ)がいずれも初優勝で2冠を達成。福島千里(札幌陸協)の100m8連覇、200m7連覇を阻止し、女子MVPに輝いた。
男子110mハードルは2年ぶり優勝を飾った高山峻野(ゼンリン)。準決勝13秒44、決勝13秒45と好タイムを連発。予選では増野元太(ヤマダ電機)が日本記録にあと0.01秒と肉薄する13秒40を出すなどその他にも好タイムが次々と出され、その後に生まれるスプリントハードル活況へとつながっていく。男子走幅跳では18歳の橋岡優輝(日大)が8m05で初優勝。棒高跳を7度制した父・利行さん、100mハードル連覇、走幅跳3度制覇の母・直美さんとの“親子V”を達成した。
ロンドン世界選手権では3個のメダル獲得
この年の大一番、第16回世界選手権は英国・ロンドンで8月4日~13日に開催された。男子34名、女子13名の選手団で挑んだ日本を牽引したのは、勢いを増す男子スプリント陣だった。
男子4×100mリレーでは世界選手権では初となるメダルを獲得。予選は多田修平(関学大)、飯塚翔太(ミズノ)、桐生祥秀(東洋大)、ケンブリッジ飛鳥(Nike)のオーダーで臨み、38秒21の3着ながら2大会ぶりに決勝へ駒を進める。決勝は4走のケンブリッジを藤光謙司(ゼンリン)に入れ替え。多田の好スタートから流れを作った。飯塚、桐生と3、4番手争いでアンカーへ。このレースで引退を表明していたウサイン・ボルト(ジャマイカ)がアンカーの途中で左脚を痛めて棄権するなか、日本は藤光が3位でフィニッシュし、銅メダルをつかみ取った。帰国後の会見で飯塚は「メンバー変更もあり、補欠も含めて6人で勝ち取ったメダル」と胸を張った。

ロンドン世界選手権4×100mリレー決勝 ©月刊陸上競技

ロンドン世界選手権4×100mリレー ©月刊陸上競技
個人ではサニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)が躍動する。多田、ケンブリッジと臨んだ100mは、3人そろって準決勝に進出。前回、史上最年少出場を果たしてセミファイナルまで進んだ200mは、準決勝2組を20秒43(-0.3)の2着で突破。日本人選手では2003年に銅メダルを獲得した末續慎吾(ミズノ)以来、14年ぶりのファイナリストとなった。加えて、世界選手権男子200mにおけるファイナリストの最年少記録は、ボルト(ジャマイカ)の18歳355日だったが、サニブラウンは18歳157日で決勝の日(8月10日)を迎える。そして、20秒63(-0.1)で堂々の7位入賞。「まだまだ満足できないですが、世界のファイナルなので、とことん楽しんでやろうと思いました」と充実感があふれた。飯塚翔太(ミズノ)も予選で20秒58(+0.7)をマークして準決勝へ進出した。
大会最終日の男子50km競歩では、日本に2つのメダルが輝く。荒井広宙(自衛隊体育学校)が銀メダル、小林快(ビックカメラ)が銅メダルを手にした。日本勢の同一種目複数メダルは、2003年パリ大会の女子マラソン(銀、銅)以来14年ぶりで、男子では初の快挙。丸尾知司(愛知製鋼)も5位を占め、2007年大阪大会の男子マラソン(5位、6位、7位)以来となるトリプル入賞も達成した。

ロンドン世界選手権50km競歩 ©月刊陸上競技
バッキンガム宮殿前の周回コースで行われたレースで、ヨアン・ディニ(フランス)が抜け出すなか、日本勢3選手は第2集団でレースを進める。36km付近で荒井が仕掛けると、小林がついて最後まで2位争いを繰り広げた。荒井はシーズンベストの3時間41分17秒、小林は自己ベストの3時間41分19秒をマーク。丸尾も3時間43分03秒の自己新。荒井は「プレッシャーのあるなかでメダルを獲得することができ、すごくいい世界選手権になった。それ以上に、50km競歩に参加した3名の選手が全員入賞したことが一番、素晴らしかった」と胸を張った。
女子100mハードルには、初出場の木村文子(エディオン)と2大会ぶり2度目の出場となる紫村仁美(東邦銀行)の2名が出走した。予選2組に入った木村が、13秒15(-0.9)をマークして4着となり、この種目では日本人選手初の準決勝進出を決めた。男子110mハードルでも増野元太(ヤマダ電機)が準決勝進出を果たしている。
女子10000mには松田瑞生(ダイハツ)、鈴木亜由子(日本郵政グループ)、上原美幸(第一生命グループ)の3名が出場。世界記録保持者のアルマズ・アヤナ(エチオピア)が飛び出す展開のなか、入賞圏内が見える位置で走った鈴木が31分27秒30で10位となった。松田は19位、上原は24位という結果だった。
タワー・ブリッジを発着点として行われた男子マラソンは、ケニアとエチオピア勢が抜け出す展開のなか、日本勢は川内優輝(埼玉県庁)が2時間12分19秒で9位、中本健太郎(安川電機)が10位、井上大仁(MHPS)が26位となった。同日行われた女子マラソンには清田真央(スズキ浜松AC)、安藤友香(スズキ浜松AC)、重友梨佐(天満屋)が出場。清田が2時間30分36秒で16位、安藤が17位、重友は27位だった。
秋シーズンにも好記録が続々誕生
男子スプリントの勢いは、秋になっても続いていく。9月22日~24日に行われた第65回全日本実業団対抗選手権の100mで、山縣亮太(セイコー)が日本歴代2位タイの10秒00を叩き出した。ケガの影響で日本選手権で6位に敗れ、ロンドン世界選手権代表入りを逃していた。その雪辱を期した秋シーズンで、その存在を大いにアピール。2週間前に桐生が9秒台を出した際は追い風1.8m。今回は追い風0.2mの条件に、「ほぼ無風でこのタイムが出たのは自信になります」とうなずいた。
男子スプリント以外にも、歴史的な記録が生まれていった。
男子円盤投では堤雄司(群馬綜合ガードシステム)が快投を連発。この種目の日本記録は1979年に川崎清貴が出した60m22が長く残ってきた。まず、7月22日の国士大競技会で60m37をマークしたが、サークル周りの囲いを設置していなかったため非公認に。しかし、8月18日の関東選手権で1投目に60m34、3投目に60m54を放ち、正真正銘の38年ぶりに日本新記録樹立を成し遂げた。その後の全日本実業団で、60m74まで記録を伸ばしている。
五輪マラソン代表選考方式「MGC」が誕生!
4月18日、日本陸連は都内で臨時理事会を開き、強化委員会から示された2020年東京五輪のマラソン代表選考方針を承認した。2019年秋(後に9月15日に決定)に、五輪本番コースに近いコース設定での代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」を開催し、そこで2人を内定(優勝者+2位または3位のMGCレース派遣設定記録突破者、または突破者不在の場合は2位の選手)。残る1人はそれ以降の「MGCファイナルチャレンジ」に設定された国内レースで派遣設定記録を突破した記録最上位の選手、突破者がいなければ内定者を除くMGC最上位者を選出するというもの。長らく、マラソンの五輪代表選考は明確な選考基準を設けることができず、代表発表のたびに物議を醸すことが続いていたが、ここに実質的な“一発選考”が誕生したことになる。
MGC出場者の決定には「MGCシリーズ」という“予選”を設け、国内主要マラソンで日本人上位、さらには基準記録を突破した選手が出場権を獲得する方式に。2017年8月1日~18年3月31日までの「シリーズ1」、2018年4月1日~19年3月31日までに「シリーズ2」と約1年半以上に渡って展開されることになった。
発表に際して日本陸連の尾縣貢専務理事は「2008年の北京大会以降、オリンピックのマラソンはかなりの不振に陥り、我々は危機的状況と捉えてこれまでの先行方法を考え直し、新たな方法を導入することにしました」とし、「選考は強化の重要なツールである、と現在の強化委員会は認識しています」と続ける。明確な選考方針を示すとともに、「東京五輪でメダルを取る」ためのロードマップを強く示した。
8月末の北海道から始まったMGCシリーズでは、地元五輪を目指す選手たちによるハイレベルの切磋琢磨が繰り広げられる。その中で、年が変わって2018年2月25日、第12回目の東京マラソンの男子で歴史が動いた。日本人トップの2位を占めた設楽悠太(Honda)が、2時間6分11秒をマーク。2001年に高岡寿成(カネボウ)が作った日本記録2時間6分16秒を16年ぶりに塗り替えた。日本人2番手(5位)の井上大仁(MHPS)も2時間6分54秒を出し、日本人が同一レースで初めて2時間6分台を複数人が記録した点でも、歴史的な日となった。設楽はレースの賞金400万円と、タイムボーナス(日本新)500万円、さらに日本実業団連合がマラソン強化のために打ち出したプロジェクト「Project ECEED」の報奨金1億円をゲットした。

東京マラソン 設楽悠太 ©月刊陸上競技
記事提供:月刊陸上競技


