オリンピック
1912第5回ストックホルム(スウェーデン)
1912年5月5日~7月28日
スウェーデン・ストックホルム
日本がついに五輪初参加 三島、金栗の陸上2名が出場

©フォート・キシモト
1909年(明治42年)、講道館柔道の創始者で東京高等師範学校(現筑波大)校長だった嘉納治五郎の元に、国際オリンピック委員会(IOC)会長のピエール・ド・クーベルタン男爵からオリンピック参加を呼び掛けるメッセージが届いたことから、日本の五輪参加への道が開かれた。
嘉納校長は5月のドイツ・ベルリンで開催されたIOC総会において、クーベルタン男爵からIOC委員への推薦を受け、アジア初の要職に就任。1912年にスウェーデン・ストックホルムで開催される第5回大会に日本選手を派遣する準備に着手した。
1911年(明治44年)には大日本体育協会(後の日本体育協会、現日本スポーツ協会)が設立され、嘉納氏が初代会長に就任。11月18、19日に東京・羽田で五輪予選会が実施された。
陸上競技のみ13種目が行われ、91人が参加。東大の三島弥彦が100m、200m、400mで優勝。マラソンで東京高師の金栗四三が当時の世界記録より27分も速い2時間32分45秒で制している。
そして1912年(明治45年)、5月から7月にかけて開催されたストックホルム五輪に、日本はアジアの国として初参加。嘉納会長を団長に、大森兵蔵監督(大日本体育協会理事)、三島、金栗の計4名の日本選手団で世界に挑んだ。
三島は100m、200mとも予選敗退。400mは予選を通過したものの、右足首を痛めて準決勝を棄権した。マラソンの金栗は途中棄権に終わった。成績は振るわなかったが、国際スポーツの舞台で最初の一歩を刻んだ。記事提供:月刊陸上競技
メモリアルフォト
チームJAPAN
| 種目 | ラウンド・組 | 順位 | 氏名(所属) | 結果 | 備考 | メダル |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 男子100m | 予選16組 | 5着 | 三島彌彦(東京帝大) | ? | ||
| 男子200m | 予選13組 | 5着 | 三島彌彦(東京帝大) | ? | ||
| 男子400m | 予選4組 | 2着 | 三島彌彦(東京帝大) | 55.5 | 通過 | |
| 男子400m | 準決4組 | 三島彌彦(東京帝大) | 欠場 | |||
| 男子マラソン | 決勝 | 金栗四三(東京高師) | 途中棄権 |



