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PEOPLE人物オリンピック・世界陸上のメダリストを紹介します。

メダリスト

第3回世界陸上 1991 東京大会

谷口浩美(旭化成)男子マラソン

Taniguchi Hiromi
©フォート・キシモト

1960年4月5日生まれ
宮崎県南那珂郡南郷町(現日南市)出身
小林高(宮﨑)→日体大→旭化成



1991年世界選手権東京大会の男子マラソンで優勝。世界選手権で日本選手初の金メダリストになった。

駅伝の強豪、小林高に進学し、3年連続で全国高校駅伝に出場。1年時は3区区間14位だったが、2年時は3区区間2位、3年時は1区区間2位(1位と同タイム)となり、同校の2連覇に貢献した。

日体大進学後は、2年生から3年連続で6区を担い、いずれも区間賞に輝いた。3、4年時には当時の区間記録を2年連続で更新。「山下りのスペシャリスト」と呼ばれた。4年時には日体大が総合優勝し、立役者となった。

大学卒業後は旭化成に入社。1985年の別府大分毎日マラソンを2時間13分16秒で駆け、初マラソン初優勝を果たした。翌86年のアジア大会は2時間10分08秒で銀メダル。1987年の東京国際マラソンを2時間10分06秒で制し、ロンドンマラソンでは2時間9分50秒のタイムで海外初優勝を達成した。日本マラソン界次代のエースとして注目されるようになったが、同年の福岡国際マラソンは6位、翌88年の東京国際マラソンも9位に終わり、ソウル五輪代表に選ばれなかった。

1988年10月の北京国際マラソンで、自己ベストで当時世界歴代7位となる2時間7分40秒で準優勝。翌89年には2時間9分34秒で走った東京国際マラソンで2度目の栄冠に輝き、翌90年にはロッテルダムマラソンで海外2度目の頂点に立つなど、好成績が続いた。

1991年に東京で開催された世界選手権最終日、男子マラソンは高温多湿で60人中24人が途中棄権する過酷なレースとなったが、終始先頭集団を走り、残り3km付近でスパートして2時間14分57秒のトップでフィニッシュ。日本人で初めて世界選手権の金メダルを獲得し、日本中を熱狂させた。

1992年のバルセロナ五輪男子マラソンでは優勝候補の一人と目されていたが、20km過ぎの給水地点で後続選手にシューズを踏まれて転倒し、脱げた靴を履きなおすアクシデントに見舞われたことが影響し、優勝争いから脱落。あきらめずに後半で順位を上げて、2時間14分43秒で8位入賞を果たした。フィニッシュ後のインタビューで「途中、こけちゃいました」と語ったことが有名で、誠実でひたむきな姿が多くの人の胸を打った。

1996年のアトランタ五輪にも2大会連続で出場し、日本選手団主将も務めた。男子マラソンでは日本人トップだったが、2時間17分26秒で19位にとどまった。

1997年、2時間11分26秒で4位となった東京国際マラソンが現役最後のレース。引退後は、旭化成陸上競技部のコーチとして指導者の道に進み、1999年ヘッドコーチに昇格。その後は沖電気女子陸上競技部監督、東京電力長距離・駅伝チーム監督、東農大陸上競技部長距離助監督など、実業団や大学で後進の指導に当った。現在も講演やマラソン大会にゲストランナーで参加するなど、多方面で活躍している。

記事提供:月刊陸上競技