メダリスト
第4回世界陸上 1993 シュトゥットガルト大会
浅利純子(ダイハツ)女子マラソン
浅利純子
Asari Junko

©フォート・キシモト
1967年9月22日生まれ
秋田県鹿角市出身
花輪高(秋田)→ダイハツ
1993年世界選手権シュツットガルト大会の女子マラソンで優勝し、五輪、世界選手権を通じて陸上界日本人女子初の金メダルに輝いた。
高校から本格的に陸上競技を始めたが、全国的に目立った活躍はなかった。
1988年、ダイハツに女子陸上部1期生として入社。1991年1月の大阪国際女子マラソンで初マラソンを走り、2時間37分01秒で12位だった。
1992年バルセロナ五輪の出場権を懸けた大阪国際女子マラソンでは、後輩の小鴨由水のペースについていけず、2時間28分57秒で6位にとどまる。当時の日本最高記録を出した小鴨が五輪切符を得て、自身は代表を逃し、涙をのんだ。同年8月の北海道マラソンは2時間32分14秒の2位。
1993年1月の大阪国際女子マラソンでは、当時日本最高タイとなる2時間26分26秒をマークして初優勝を飾り、8月のシュツットガルト世界選手権代表選手に選ばれた。世界選手権では、先頭を走るマヌエラ・マシャド(ポルトガル)を下り坂に差しかかる36km地点で逆転し、そのまま独走して2時間30分03秒のトップでフィニッシュ。五輪の陸上女子種目で日本人初となる栄冠を勝ち取った。
1994年1月の大阪国際女子マラソンは、安部友恵、藤村信子とのラスト勝負で敗れ、2時間26分10秒で3位だった。1995年、ニューヨーク・ハーフマラソンで優勝。東京国際女子マラソンは、選手と交錯して転倒するアクシデントを乗り越え、2時間28分46秒で頂点に立ち、1996年アトランタ五輪代表に選ばれて悲願の五輪切符をつかんだ。
アトランタ五輪では金メダル有力候補と目されていたが、シューズが足に合わず左足に靴擦れを起こして出血するトラブルに見舞われ、2時間34分31秒で17位に終わった。
1997年に出場したボストン・マラソンは、2時間31分12秒で6位。翌98年のロッテルダム・マラソンは、途中まで当時の日本最高記録(高橋尚子の2時間25分48秒)を上回るペースだったが、後半失速し、2時間26分11秒で2位だった。
1998年の東京国際女子マラソンは、2時間28分29秒のタイムで3年ぶり2度目の栄冠。市橋有里と同タイムで、僅差の勝利だった。この成績によって1999年セビリア世界選手権代表に選出されたが、8月の本番は足の故障を抱えての出場となり、2時間31分39秒で16位にとどまった。それでも、国別の上位3名のタイム合計で争うワールドカップ団体で、市橋有里(2位)、小幡佳代子(8位)らと優勝を果たした。
2000年1月の大阪国際女子マラソンは脚にケイレンを起こし、自身初めての途中棄権を選択。同年のシドニー五輪への出場の道が断たれた。
2001年1月、現役引退を表明。その後はダイハツ陸上部のコーチに就任して後進の育成にあたる。2005年、鈴木従道監督の定年退職を機に自身も退社し、郷里の秋田へ戻った。
1993年、JOCスポーツ賞最優秀賞や日本スポーツ賞グランプリなどを受賞。故郷の秋田県鹿角市で2007年から夏に小中学生対象の「浅利純子杯争奪鹿角駅伝」が開かれている。
記事提供:月刊陸上競技


