メダリスト
第6回世界陸上 1997 アテネ大会
鈴木博美(積水化学)女子マラソン
鈴木博美
Suzuki Hiromi

©フォート・キシモト
1968年12月6日生まれ
千葉県千葉市花見川区出身
市立船橋高(千葉)→リクルート→積水化学
1997年世界選手権アテネ大会の女子マラソンで、日本女子選手2人目となる金メダルを獲得した。
中学で陸上部に入り、2年時に800mで全国中学校体育大会に出場した。陸上の名門、市船橋高の小出義雄監督に声を掛けられて入学。2年時の全国都道府県対抗女子駅伝で5区区間賞、3年生で出場したインターハイ3000mで2位となった。
高校を卒業した1987年、リクルートランニングクラブの女子部員第1号として活動を開始。引き続き小出監督から指導を受けた(翌88年に小出氏もリクルートへ)。1992年、バルセロナ五輪女子10000mに出場し、予選落ち。
駅伝でも活躍し、1993、94年に全日本実業団女子駅伝でリクルートが2連覇を果たしたことに貢献した。全国都道府県対抗女子駅伝でも千葉県の一員として、1988年に1区、翌89年に2区、1992年に9区でそれぞれ区間賞を獲得している。
1995年、日本選手権10000mを初制覇。同年のイエテボリ世界選手権の女子10000mでは、31分54秒08で8位に入り、世界選手権のトラック種目で日本女子選手初の入賞を果たした。
自他ともに認めるほど練習嫌いだったが、マラソン挑戦を決意。1996年1月の大阪国際女子で初マラソンに臨み、2時間26分27秒で2位となった。同年のアトランタ五輪はマラソン出場を目指していたが、選考レースで最もタイムが良かったものの落選。目標を10000mに切り替え、日本選手権で当時の日本新記録となる31分19秒40で2連覇した。アトランタ五輪女子10000mでは予選を通過し、決勝は32分43秒39で16位だった。
1997年3月の名古屋国際女子マラソンで、2時間29分36秒で2位に入り、同年のアテネ世界選手権はマラソン代表として選ばれた。女子陸上競技部を創部した積水化学へ移籍。迎えた8月の世界選手権レース当日は猛暑で、前年のアトランタ五輪女王ファツマ・ロバ(エチオピア)が途中棄権するほど過酷な条件の中、27km過ぎにスパートして独走態勢に入り、そのままトップでフィニッシュ。タイムは2時間29分48秒で、2位だった前回覇者のマヌエラ・マシャド(ポルトガル)に1分24秒の大差をつける圧巻のレースだった。1993年シュツットガルト大会の浅利純子以来、日本人女子2人目の金メダリストとなった。
冬季大会の1998年長野五輪開会式では、聖火ランナーとして最終点火者の伊藤みどりさんへ聖火をつなぐ大役を果たした。
1999年8月のセビリア世界選手権も出場権を持っていたが、足の故障による調整不足などにより出場を辞退。2年ぶりのフルマラソンとなった東京国際女子マラソンで2000年シドニー五輪の代表権を狙ったが、2時間31分29秒で9位に終わった。
2001年、現役を引退し、男子短距離選手で長く男子100mの日本記録を保持した伊東浩司さんと結婚。各地のマラソン大会で、ゲストランナーとして走る楽しみを伝えている。2020年から東京メトロ女子駅伝部アドバイザーも務めている。
1997年日本スポーツ賞グランプリなどの受賞歴がある。
記事提供:月刊陸上競技


