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PEOPLE人物オリンピック・世界陸上のメダリストを紹介します。

メダリスト

第28回オリンピック 2004 アテネ大会

室伏広治(ミズノ)男子ハンマー投

室伏広治
Murofushi Koji
©フォート・キシモト

1974年10月8日生まれ
静岡県沼津市出身
成田高(千葉)→中京大→ミズノ


男子ハンマー投でアジア大会5連覇など“アジアの鉄人”と称された室伏重信を父に持ち、妹・由佳も円盤投、ハンマー投選手として日本記録樹立、五輪出場など活躍した。

幼少期から優れた運動神経を持っていたという。小学校や愛知・保見中で米国留学を経験し、テニスに熱中。中学では三種競技にも取り組んだ。

高校では千葉の名門に越境入学し、本格的に陸上競技をスタート。名将・滝田詔生監督の自宅で下宿生活を送りながら、アスリートとしての才能を磨いていく。

高校入学後から父と同じハンマー投に取り組み、インターハイでは2連覇を達成。高3(1992年)の宮崎インターハイでは、14ポンド(6.351kg)で史上初の70m超えとなる71m78をマークし、何度も塗り替えた高校記録は73m52に達した。世界ジュニア選手権では8位入賞を果たし、日本選手権では高校生ながら4位に食い込む。

中京大では1年目にケガがあったものの、2年だった1994年は日本選手権で2位に入ると、広島で開催されたアジア大会で銀メダルを獲得。翌95年の日本選手権では初優勝を飾り、これが20連覇の偉業への第一歩となる。
また、世界の舞台も95年からスタート。デビュー戦だったイエテボリ世界選手権は予選敗退だった。、

大学4年の春に70mを初めて超え、父の日本記録(75m96)に徐々に接近していく。ミズノ入社1年目だった1997年にはアテネ世界選手権で決勝進出を果たし、入賞にあと一歩の10位。翌98年4月の群馬リレーカーニバルで76m56をマークし、「日本記録保持者」となった。

そこからは、98年アジア大会の金メダルをステップに、世界の頂点を目指して突き進む。99年セビリア世界選手権の予選敗退、初の五輪だった2000年シドニー五輪の9位など悔しさも味わった。それでも2000年5月の国際グランプリ大阪大会でついに80mの大台に到達(80m23)を果たし、世界クラスの力をつけた。そして、2001年エドモントン世界選手権で82m92を放って2位を占め、世界大会最初のメダルを獲得する。

2002年はアジア大会を連覇し、翌03年は世界歴代3位の84m86をマーク。同年のパリ世界選手権は銅メダルとなったが、2004年のアテネ五輪でついに世界の頂点へ。試合時は2位だったが、表彰式を終えてから1位の選手のドーピング違反が発覚し、繰り上がりで金メダルを獲得。9月23日のスーパー陸上(横浜国際)で金メダル授与式が挙行された際に、「真実の金メダル」と語って、胸を張った。
2005年のイエテボリ世界選手権は不参加となったが、07年大阪世界選手権は6位、08年北京五輪は5位を入賞を確保。トレーニング方法も年齢に合わせてさまざまな変化を加え、技術も探究。目標の大会にピタリと合わせるピーキングの精度も高めた。そして、2011年のテグ世界選手権では男子全種目を通じて史上最年長となる36歳325日で金メダルを獲得。翌年のロンドン五輪でも銅メダルを獲得した。

2013年モスクワ世界選手権で6位入賞を果たし、これが最後の世界大会に。翌14年の日本選手権で前人未到の20連覇の偉業を成し遂げると、試合出場のなかった15年を経て、16年の日本選手権を最後に現役引退。ラストゲームの成績は64m74で12位だった。

現役生活を終える前の2014年10月に東京医科歯科大教授兼スポーツサイエンスセンター長に就任。その後は2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会スポーツ局長兼スポーツディレクターを務め、五輪後の2020年10月1日にスポーツ庁長官に就任。2025年9月末の任期終了まで、日本のスポーツ界の中枢を担った。2025年10月1日付で東京科学大副学長およびグルーバルスポーツサイエンススポーツセンター準備室長に就任した。

記事提供:月刊陸上競技