メダリスト
第28回オリンピック 2004 アテネ大会
野口みずき(グローバリー)女子マラソン
Noguchi Mizuki
1978年7月3日生まれ
三重県伊勢市出身
宇治山田商高(三重県)→ワコール→グローバリー→シスメックス
2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリスト。身長150cmの小柄な身体から生み出される力強いストライド走法が代名詞で、日本女子マラソンの黄金期を支えた。
伊勢市立厚生中で陸上を始め、高校は駅伝の名門・宇治山田商高へ進学。3000mでインターハイに2年連続で出場。3年時に全国高校駅伝に出場し、エース区間の1区で16位だった。
1997年にワコールへ入社したが、翌年、五輪出場実績を持つ真木和らを育てた藤田信之監督の退社に追随。しばらく無所属となったが、1999年に監督らとともにグローバリーに入った。同年、犬山ハーフマラソンで初優勝、札幌国際ハーフマラソンで日本人トップの2位、世界ハーフマラソン選手権では1時間9分12秒で2位に入った。名古屋ハーフマラソンでも1時間8分30秒で優勝するなどの結果を残したことから、「ハーフマラソンの女王」と呼ばれるようになった。
トラックでは2001年に日本選手権10000mで3位に入り、世界選手権エドモントン大会は13位だった。
2002年3月の名古屋国際女子マラソンで初のフルマラソンを走り、2時間25分35秒で優勝。翌03年、1月の大阪国際女子マラソンは当時日本歴代2位となる2時間21分18秒の好タイムをマークして優勝した。8月の世界選手権パリ大会は、2時間24分14秒で銀メダルに輝き、翌年のアテネ五輪への切符をつかんだ。
2004年アテネ五輪のマラソンでは、25km過ぎでロングスパートを掛けて先頭に立ち、次第に独走態勢に。前年の世界選手権で野口に先行して優勝したキャサリン・ヌデレバ(ケニア)が追い上げたが、12秒差で逃げ切って2時間26分20秒 でフィニッシュ。前回2000年シドニー五輪の高橋尚子に続いて日本勢が2大会連続で頂点に立った。有森裕子が1992年バルセロナ五輪で2位、1996年アトランタ五輪で3位に入っており、女子マラソン日本勢4大会連続でのメダル獲得となった。また、土佐礼子が5位、坂本直子が7位で、日本勢が3選手とも入賞した。
2005年のベルリンマラソンは、当時の日本最高記録、アジア最高記録となる2時間19分12秒で優勝した。この記録は2024年に前田穂南に破られるまで、19年間日本記録として残った。
グローバリー陸上部廃部により、2005年12月にシスメックスへ移籍。2007年には翌年の北京五輪代表選考レースである東京国際女子マラソンに出場し、2時間21分37秒の大会新記録で栄冠に輝いた。これにより、日本人選手として史上初となる、東京、大阪、名古屋の国内三大女子マラソンを完全制覇者となった。
2大会連続の日本代表となった2008年北京五輪は、直前に左太腿を痛めて無念の出場辞退。その後もケガに悩まされ、2012年ロンドン五輪の切符を目指してエントリーした名古屋ウィメンズマラソンは6位にとどまった。2013年3月の名古屋ウィメンズマラソンで3位に入り、世界選手権モスクワ大会で日本代表の座に返り咲いたものの、本番は途中棄権となった。
2016年3月、リオデジャネイロ五輪出場権を懸けた名古屋ウィメンズマラソンでは、2時間33分54秒で23位に終わった。翌月、現役引退を表明した。
自己ベストは5000m15分30秒04(2007年)、10000m31分21秒03(2004年)、ハーフマラソン1時間7分43秒(2006年)、マラソン2時間19分12秒(2005年)。
引退後は、2019年から岩谷産業陸上部アドバイザーを務めるほか、マラソン大会の解説やゲストランナーなど幅広く活躍している。2021年東京五輪では日本人最初の聖火ランナーとしてギリシャを駆けた。
記事提供:月刊陸上競技

©フォート・キシモト
1978年7月3日生まれ
三重県伊勢市出身
宇治山田商高(三重県)→ワコール→グローバリー→シスメックス
2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリスト。身長150cmの小柄な身体から生み出される力強いストライド走法が代名詞で、日本女子マラソンの黄金期を支えた。
伊勢市立厚生中で陸上を始め、高校は駅伝の名門・宇治山田商高へ進学。3000mでインターハイに2年連続で出場。3年時に全国高校駅伝に出場し、エース区間の1区で16位だった。
1997年にワコールへ入社したが、翌年、五輪出場実績を持つ真木和らを育てた藤田信之監督の退社に追随。しばらく無所属となったが、1999年に監督らとともにグローバリーに入った。同年、犬山ハーフマラソンで初優勝、札幌国際ハーフマラソンで日本人トップの2位、世界ハーフマラソン選手権では1時間9分12秒で2位に入った。名古屋ハーフマラソンでも1時間8分30秒で優勝するなどの結果を残したことから、「ハーフマラソンの女王」と呼ばれるようになった。
トラックでは2001年に日本選手権10000mで3位に入り、世界選手権エドモントン大会は13位だった。
2002年3月の名古屋国際女子マラソンで初のフルマラソンを走り、2時間25分35秒で優勝。翌03年、1月の大阪国際女子マラソンは当時日本歴代2位となる2時間21分18秒の好タイムをマークして優勝した。8月の世界選手権パリ大会は、2時間24分14秒で銀メダルに輝き、翌年のアテネ五輪への切符をつかんだ。
2004年アテネ五輪のマラソンでは、25km過ぎでロングスパートを掛けて先頭に立ち、次第に独走態勢に。前年の世界選手権で野口に先行して優勝したキャサリン・ヌデレバ(ケニア)が追い上げたが、12秒差で逃げ切って2時間26分20秒 でフィニッシュ。前回2000年シドニー五輪の高橋尚子に続いて日本勢が2大会連続で頂点に立った。有森裕子が1992年バルセロナ五輪で2位、1996年アトランタ五輪で3位に入っており、女子マラソン日本勢4大会連続でのメダル獲得となった。また、土佐礼子が5位、坂本直子が7位で、日本勢が3選手とも入賞した。
2005年のベルリンマラソンは、当時の日本最高記録、アジア最高記録となる2時間19分12秒で優勝した。この記録は2024年に前田穂南に破られるまで、19年間日本記録として残った。
グローバリー陸上部廃部により、2005年12月にシスメックスへ移籍。2007年には翌年の北京五輪代表選考レースである東京国際女子マラソンに出場し、2時間21分37秒の大会新記録で栄冠に輝いた。これにより、日本人選手として史上初となる、東京、大阪、名古屋の国内三大女子マラソンを完全制覇者となった。
2大会連続の日本代表となった2008年北京五輪は、直前に左太腿を痛めて無念の出場辞退。その後もケガに悩まされ、2012年ロンドン五輪の切符を目指してエントリーした名古屋ウィメンズマラソンは6位にとどまった。2013年3月の名古屋ウィメンズマラソンで3位に入り、世界選手権モスクワ大会で日本代表の座に返り咲いたものの、本番は途中棄権となった。
2016年3月、リオデジャネイロ五輪出場権を懸けた名古屋ウィメンズマラソンでは、2時間33分54秒で23位に終わった。翌月、現役引退を表明した。
自己ベストは5000m15分30秒04(2007年)、10000m31分21秒03(2004年)、ハーフマラソン1時間7分43秒(2006年)、マラソン2時間19分12秒(2005年)。
引退後は、2019年から岩谷産業陸上部アドバイザーを務めるほか、マラソン大会の解説やゲストランナーなど幅広く活躍している。2021年東京五輪では日本人最初の聖火ランナーとしてギリシャを駆けた。
記事提供:月刊陸上競技


