日本選手権の歴史
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第1回1913年
(大正2年) -
11月1~2日、陸軍戸山学校運動場。国際陸上競技連盟が前年に創設されたばかり。まだ日本陸上競技連盟は存在していなかった。東京高師の校長で講道館柔道の創始者、嘉納治五郎が初代会長となって結成間もない大日本体育協会が主催。名称は第1回陸上競技大会。陸軍戸山学校運動場のトラックは1周270mの変...
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第2回1914年
(大正3年) -
11月22~23日、陸軍戸山学校運動場。25マイル(約40.233km)マラソンは「日本マラソンの父」金栗四三(高等師範)が連覇したが、タイムは2時間19分20秒3という優れたものだった。前年は2時間31分28秒0だったから、12分以上の短縮だった。当時は、国際的にもマラソンの距離は 42.195kmと定まっておらず、...
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第3回1915年
(大正4年) -
11月20~21日、陸軍戸山学校運動場。100m障害、円盤投、やり投、五種競技が新たに加わった。金栗四三の25マイルマラソンは前年の記録を下回る2時間27分23秒6に終わった。100mは斎藤友三(東大)が勝ち、タイムは11秒5に躍進。リザルト...
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第4回1916年
(大正5年) -
9月2~3日、東京・芝浦運動場。芝浦に新設された競技場で行われた。トラックは、1周5分の1マイル(約321m)で、両コーナーにはわずかな傾斜が施されていたとされる。3回大会までと決定的に違っていたのは、短距離種目もヤード制で行われたこと。翌年に東京で開催が予定されていた極東選手権(ヤード制)...
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第5回1917年
(大正6年) -
11月17~18日、鳴尾運動場。全国への普及を考慮して初めて関西で実施。したがって、特別に小・中学校の種目も加えられた。トラックは1周 800mもある楕円形。北側の直線走路は400mもあったとされる。 尋常小学校200mに和歌山県・橋本小学6年生の生柳光子なる少女が出場、男子と一緒に走った。女子種目...
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第6回1918年
(大正7年) -
11月12~13日、東京・芝浦運動場。100mは松田恒政が11秒4で優勝したが、彼は慶大野球部員で一塁手だった。三段跳(当時は、ホップ・ステップ・ジャンプ)が新たに加えられたが、技術が伴わず、勝った原川五郎(日体大)の記録は10m 96にとどまった。リザルト...
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第7回1919年
(大正8年) -
11月8~9日、嗚尾運動場。舞台は2年ぶりに関西へ。400mで佐伯巌(同志社大)が従来の日本記録を2秒4も短縮する52秒0の快記録をマーク。 1500mは麻生武治(早大)と長山英一(鳥取青年)が4分28秒0で同着優勝。
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第8回1920年
(大正9年) -
11月27~28日、東大農学部実科·駒場運動場。マラソン(26マイル4分の1)で1着から5着までが失格するという「事件」が起きた。当時の大日本体育協会が発表した「競技会参加に対する資格」の規定に触れ、1着(2時間42分02秒)でゴールした安藤角助以下5人が「脚力を職業とする者」として失格した。安...
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第9回1921年
(大正10年) -
11月19~20日、東大農学部実科・駒場運動場。名称が「全日本選手権陸上競技大会」に改められた。100mは中学生の高木正征(暁星)が11秒5分の1で優勝、注目された。
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第10回1922年
(大正11年) -
11月4~5日、東大農学部実科·駒場運動場。走高跳は日没でバーが見えなくなり打ち切り。この時点で5人が1m57を跳んでいた。決着なしの珍事が起きた。...
記事提供:スポーツジャーナリスト 満薗文博


