日本選手権の歴史
-
第21回1934年
(昭和9年) -
10月20~21日、甲子園南運動場。村社講平(中大)が5000m、10000mで後続に圧倒的な力を見せて2冠。三段跳はハイレベル。大島鎌吉(浪速ク)が15m53の大会新で、原田正夫(京大)の15m32を抑えて優勝した。...
-
第22回1935年
(昭和10年) -
11月2~4日、明治神宮外苑。マラソンの孫基禎(朝鮮・牲正高普)が2時間26分42秒0の日本最高。村社講平は5000mに14分58秒0、10000mに31分07秒8と国際級の日本新記録をマークした。 100mで1着・吉岡隆徳(大塚ク)、2着・近藤文平(専大)がともに10秒5の大会新。1500mの中村清(早大)も4分02秒2の大...
-
第23回1936年
(昭和11年) -
10月30日~11月1日、明治神宮外苑。ベルリン五輪参加選手を中心に疲労感漂う大会となり、全般的に低調な大会となった。日本新記録の誕生は、3000m競歩と、女子800mリレーのみ。...
-
第24回1937年
(昭和12年) -
11月1~3日、明治神宮外苑。第一線級の多くが不参加で低調な大会。女子の児島フミ(中京高女)は、砲丸投、円盤投にともに大会新で2冠。男子の50km競歩は6位入賞者全員が日本最高記録を更新、1着の和田英治(鶴見金港ク)のタイムは4時間42分57秒0。
-
第25回1938年
(昭和13年) -
9月24~25日、甲子園南運動場。日華事変が勃発、戦争への機運が本格的に広がり、40年東京五輪の返上が決まった年。低調な大会となった。日本新は女子80mハードルで山下好子(中京高女)が出した12秒8のみにとどまった。
-
第26回1939年
(昭和14年) -
10月30日~11月3日、一高・明治神宮外苑。山内リエ(中京高女)が走高跳でlm57の日本新。走幅跳にも5m67で勝利。
-
第27回1940年
(昭和15年) -
10月30日~11月3日、明治神宮外苑。戦争の影響大きく、低調な大会となった。
-
第28回1941年
(昭和16年) -
7月17~19日、大阪市の中モズ競技場で開催予定だったが、国の命令により開催を中止。
-
第29回1942年
(昭和17年) -
7月11~12日、中モズ競技場。戦前最後の大会となった。戦争は激しさを増し、翌昭和18年から同20年まで開催されなかった。 そんな状況下、女子走高跳の山内リエ(菊花女教)はlm62の日本新。五種競技の吉野トヨ子(巨摩女教)も日本新。山内リエ(200m、走高跳、走幅跳、砲丸投、4X100mリレー、五種競技...
-
第30回1946年
(昭和21年) -
戦後復活の第1回大会。11月2~3日、第1回目となる国民体育大会を兼ねて京都の西京極競技場で開催された。しかし、戦争の痛手は大きく、トレーニング不足に加え、食料難。選手たちは、各地から米や野菜を担いで集まった。若手の多くがスポーツの機会を奔われていたことから、多くの種目で経験者であるベ...
記事提供:スポーツジャーナリスト 満薗文博



