-
第41回1957年
(昭和32年)
-
10月5~6日、神戸王子競技場。2日目の猛烈な風雨で記録的に低調な大会となった。女子円盤投で、ここまで8連覇を続けていた吉野トヨ子が内田弘子(日大)に敗れ、吉野時代が幕を閉じた。内田弘子(円盤投)©月刊陸上競技...
-
10月5~6日、神戸王子競技場。2日目の猛烈な風雨で記録的に低調な大会となった。女子円盤投で、ここまで8連覇を続けていた吉野トヨ子が内田弘子(日大)に敗れ、吉野時代が幕を閉じた。

内田弘子(円盤投)
©月刊陸上競技
-
第42回1958年
(昭和33年)
-
10月11~12日、国立競技場。明治神宮外苑競技場から生まれ変わった国立競技場が竣工。オリンピック招致可能な施設が賂った。トラックはアンツーカーとなった。新装なった会場での第1回大会となった。やり投の三木孝志(早大)が72m81と、こけら落としの日本新で気を吐いた。五種競技でも優勝した福田晶...
-
10月11~12日、国立競技場。明治神宮外苑競技場から生まれ変わった国立競技場が竣工。オリンピック招致可能な施設が賂った。トラックはアンツーカーとなった。新装なった会場での第1回大会となった。やり投の三木孝志(早大)が72m81と、こけら落としの日本新で気を吐いた。五種競技でも優勝した福田晶子(中大)、渡辺恭子(リッカー)が日本新。

三木孝志(やり投)
©月刊陸上競技
-
第43回1959年
(昭和34年)
-
8月1~2日、国立競技場。真夏の大会で、トラックの決勝をナイターで行う試みがなされた。だが、記録は低調なものとなった。女子走高跳の田中初世(八幡製鉄)が1m64の日本タイ(自ら4月に作った同記録)に並ぶ。
この年、64年東京五輪の開催が決定した。...
-
8月1~2日、国立競技場。真夏の大会で、トラックの決勝をナイターで行う試みがなされた。だが、記録は低調なものとなった。女子走高跳の田中初世(八幡製鉄)が1m64の日本タイ(自ら4月に作った同記録)に並ぶ。
この年、64年東京五輪の開催が決定した。
-
第44回1960年
(昭和35年)
-
7月1~3日、国立競技場。ローマ五輪の最終選考会を兼ねて行われた。人見絹枝が銀メダルを獲得した28年アムステルダム大会以来、この五輪から復活する女子800mは、田中千鶴子(愛知学大)が2分20秒2で優勝。ちなみに、28年アムステルダム五輪の人見のタイムは2分17秒4だった。ハンマー投の岡本登(旭化...
-
7月1~3日、国立競技場。ローマ五輪の最終選考会を兼ねて行われた。人見絹枝が銀メダルを獲得した28年アムステルダム大会以来、この五輪から復活する女子800mは、田中千鶴子(愛知学大)が2分20秒2で優勝。ちなみに、28年アムステルダム五輪の人見のタイムは2分17秒4だった。ハンマー投の岡本登(旭化成)は64m02の日本新、進境著しい菅原武男(日大)が60mllで続いた。
ローマ五輪では日本勢は不振だった。

岡本登(ハンマー投)
©月刊陸上競技
-
第45回1961年
(昭和36年)
-
6月30日~7月2日、国立競技場。3000m障害は余技という横溝三郎(中大)が、日本人で初めて9分の壁を破る8分56秒2の日本新で優勝。女子やり投は高倉弘子(リッカー)が日本女子として初めて50mの壁を突破する51m56の日本新で優勝した。
円谷幸吉(郡山自衛隊)が5000mで6着となり、頭角を現し始めた大...
-
6月30日~7月2日、国立競技場。3000m障害は余技という横溝三郎(中大)が、日本人で初めて9分の壁を破る8分56秒2の日本新で優勝。女子やり投は高倉弘子(リッカー)が日本女子として初めて50mの壁を突破する51m56の日本新で優勝した。
円谷幸吉(郡山自衛隊)が5000mで6着となり、頭角を現し始めた大会となった。
6月25日、日本選手権を兼ねて大阪で開催された毎日マラソンで、前年のローマ五輪金メダリストのビキラ・アベベが2時間29分07秒で優勝。
-
第46回1962年
(昭和37年)
-
10月12~14日、大宮競技場。円谷幸吉(自衛隊)が5000m、10000mの2冠に輝いた。特に 10000mは、日本選手権で初めて30分の壁を突破する29分59秒0をマークした。
110mハードルで安田寛ー(八幡製鉄)が14秒4の日本新、6連覇を飾った。完全にグラスファイバー・ポールの時代に入った棒高跳で大坪政士、盛...
-
10月12~14日、大宮競技場。円谷幸吉(自衛隊)が5000m、10000mの2冠に輝いた。特に 10000mは、日本選手権で初めて30分の壁を突破する29分59秒0をマークした。
110mハードルで安田寛ー(八幡製鉄)が14秒4の日本新、6連覇を飾った。完全にグラスファイバー・ポールの時代に入った棒高跳で大坪政士、盛田久生(ともに日立)が4m40の日本タイ記録。女子80mハードルでも依田郁子(リッカー)が11秒3の日本タイ記録をマークした。
-
第47回1963年
(昭和38年)
-
10月12~15日、国立競技場。プレ五輪(東京国際スポーツ大会)を兼ね、外国勢70人が加わった4日間の賑やかな大会となった。東京五輪を翌年に控え、日本勢も健闘。特に80mハードルの依田郁子(リッカー)の快進撃が光った。予選10秒7、準決勝10秒6と日本新を連発。決勝ではランド(英国)らを抑え、10秒...
-
10月12~15日、国立競技場。プレ五輪(東京国際スポーツ大会)を兼ね、外国勢70人が加わった4日間の賑やかな大会となった。東京五輪を翌年に控え、日本勢も健闘。特に80mハードルの依田郁子(リッカー)の快進撃が光った。予選10秒7、準決勝10秒6と日本新を連発。決勝ではランド(英国)らを抑え、10秒7(追い風参考)で優勝した。
1500mで岩下察男(中大)が3分46秒0、秋田弘吉(早大)が3分46秒8の日本新。女子やり投でも、佐藤弘子(リッカー)が52m98の日本新をマークした。

佐藤弘子(やり投)
©月刊陸上競技
-
第48回1964年
(昭和39年)
-
7月3~5日、国立競技場。この年の東京五輪の最終選考会を兼ねて開催。高温多湿に災いされて記録は全般に低調なものとなった。そんななか、400mでは、早瀬公忠(八幡)が47秒2の日本新をマークして気を吐いた。3000m障害は、青葉昌幸(日大)と若松育太(東洋工業)の一騎打ちとなり、1位の青葉、2位の...
-
7月3~5日、国立競技場。この年の東京五輪の最終選考会を兼ねて開催。高温多湿に災いされて記録は全般に低調なものとなった。そんななか、400mでは、早瀬公忠(八幡)が47秒2の日本新をマークして気を吐いた。3000m障害は、青葉昌幸(日大)と若松育太(東洋工業)の一騎打ちとなり、1位の青葉、2位の若松がともに8分48秒6の日本新。棒高跳でも、大坪政士(日立)が4m70の日本新をマークした。女子400mは平山可都良(日大)が56秒8の日本新で初優勝。
この大会、オリンピックに照準を合わせた、飯島秀雄(早大)、依田郁子(リッカー)、菅原武男らトップ選手の一部は海外転戦のため出場しなかった。飯島は6月14日、西ベルリンの大会で10秒1の日本新をつくっている。
東京五輪では健闘も、日本選手のメダルはマラソンの円谷の銅メダル1個だけだった。
4月19日、日本選手権を兼ねて東京五輪のマラソンコースで行われた毎日マラソンで、君原健二(八幡製鉄)が2時間17分11秒4で優勝。2位に入った円谷幸吉(郡山自衛隊)、3位の寺沢徹(クラレ)と共に、東京五輪のマラソン日本代表に選出された。
-
第49回1965年
(昭和40年)
-
10月15~17日、国立競技場。5000mは、英国の強豪テーラーが出場。前半をリードしたが、澤木啓祐(順大)が後半勝負に出て、13分59秒8で逆転初優勝。20000m競歩では、斎藤和夫(倉庫精練)が1時間36分29秒8の日本新。途中計時の10000mも45分08秒0の日本新だった。澤木啓祐(5000m、10000m)©フォー...
-
10月15~17日、国立競技場。5000mは、英国の強豪テーラーが出場。前半をリードしたが、澤木啓祐(順大)が後半勝負に出て、13分59秒8で逆転初優勝。20000m競歩では、斎藤和夫(倉庫精練)が1時間36分29秒8の日本新。途中計時の10000mも45分08秒0の日本新だった。

澤木啓祐(5000m、10000m)
©フォート・キシモト
-
第50回1966年
(昭和41年)
-
9月16~18日、国立競技場。400mに、東京オリンピックの聖火最終ランナー、坂井義則(早大)が49秒3で初優勝。同五輪に出場できなかった男がやっと日本一の称号を得た。100m・200mで誉田徹(日レ)が2冠、800m・l500mで岩下察男(旭化成)が2冠、5000m・10000mで土谷和夫(日大)が2冠、砲丸投・円盤投...
-
9月16~18日、国立競技場。400mに、東京オリンピックの聖火最終ランナー、坂井義則(早大)が49秒3で初優勝。同五輪に出場できなかった男がやっと日本一の称号を得た。100m・200mで誉田徹(日レ)が2冠、800m・l500mで岩下察男(旭化成)が2冠、5000m・10000mで土谷和夫(日大)が2冠、砲丸投・円盤投で石田義久(日大)が2冠、女子400m・800mで宮本洋子(東学大AC)が2冠、100m・80mハードルで助川立子(日大)が2冠と、ダブルタイトル獲得者が続出した。
この年の12月、バンコクでアジア大会。日本は金18、銀22、銅10個を獲得。